炎上 作品情報

えんじょう

溝口吾市は、父の遺書を携えて京都の驟閣寺を訪れた。昭和十九年の春のことである。彼は父から口癖のように、この世で最も美しいものは驟閣であると教えこまれ、驟閣に信仰に近いまでの憧憬の念を抱いていた。父の親友でこの寺の住職・田山道詮老師の好意で徒弟として住むことになった。昭和二十二年、戦争の悪夢から覚めた驟閣には、進駐軍の将兵を始め観光客が押しよせた。静かな信仰の場から、単なる観光地になり下ってしまったのだ。ある日米兵と訪れ戯れる女を、溝口は驟閣の美を汚す者として引ずりおろした。二十五年、溝口は古谷大学に通うようになり、そこで内翻足を誇示して超然としている戸苅を知った。彼は、驟閣の美を批判し老師の私生活を暴露した。溝口の母あきは、生活苦から驟閣寺に住みこむことになった。溝口は反対した。父が療養中、母は姦通したことがあるからだ。この汚れた母を、美しい驟閣に近づけることは彼には到底出来なかったのである。口論の挙句、街にさまよい出た溝口は、芸妓を伴った老師に出会った。戸苅の言ったことは、真実であった。彼は小刀とカルモチンを買い、戸苅から金を借りて旅に出た。故郷成生岬の断崖に立ち荒波を見つめる溝口の瞼には、妻に裏切られ淋しく死んでいった父のダビの青白い炎が浮んだ--。挙動不審のため警察に保護され、連れ戻された溝口を迎えた、母と老師の態度は冷かった。彼は、自分に残されているのは、ただ一つのことをすることだけだと思った。溝口はふるえる手で、三たびマッチをすった。白煙がたちのぼり、その中から赤い透明の焔が吹き上った。美しくそそり立つ驟閣が、夜空をこがして炎上する。その美しさに溝口は恍惚とした。--国宝放火犯人として検挙された溝口は、頑として尋問に答えなかった。実施検証で焼跡を訪れた。が、そこに見出したのは無惨な焼跡だけだった。汽車に乗せられた溝口は、便所へ立った、少しの油断を見て、彼は自らの体を車外へ投げ出した--。

「炎上」の解説

三島由紀夫の「金閣寺」の映画化で、驟閣という美に憑かれた男を描く異色作。脚色は和田夏十と「四季の愛欲」の長谷部慶次が共同であたり、監督は「穴」の市川崑、撮影は「赤胴鈴之助 三つ目の鳥人」の宮川一夫が担当。「人肌孔雀」の市川雷蔵が現代劇初出演するほか、「大番 (完結篇)」の仲代達矢、「若い獣」の新珠三千代、「大阪の女」の中村鴈治郎、それに浦路洋子・中村玉緒・北林谷栄・信欣三などが出演している。

公開日・キャスト、その他基本情報

キャスト 監督市川崑
原作三島由紀夫
出演市川雷蔵 仲代達矢 中村鴈治郎 浦路洋子 中村玉緒 新珠三千代 舟木洋一 信欣三 香川良介 北林谷栄 伊達三郎 寺島雄作 上田寛 水原浩一 五代千太郎 志摩靖彦 浜村純 藤川準 大崎四郎 旗孝思 井上武夫 浜田雄史 石原須磨男 浅井福三男 小林加奈枝
配給 大映
制作国 日本(1958)
上映時間 99分

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ユーザーレビュー

総合評価:5点★★★★★、2件の投稿があります。

P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-02

"不世出の夭折の大スター市川雷蔵の初めての現代劇出演作 「炎上」"

37歳という若さで亡くなった、不世出の夭折の大スター、市川雷蔵。
雷蔵はどんな役柄でもこなせて、現代劇でも時代劇にも喜劇にも悲劇にも、娯楽映画にも芸術映画にも、あらゆるジャンルの映画でそのカリスマ的な魅力を表現出来た、稀有の役者だったと思います。

特に、歌舞伎界の出身という事からくる彼の"口跡の素晴らしさ、立ち姿、立ち居振る舞い、所作の美しさ、華麗さ"は、他の追随を許さない程の見事さだったと思います。
もう彼のような華のあるカリスマ性のあるスターは、二度と現われないだろうと思える程です。

しかも、彼は23歳で映画界入りして以来、「眠狂四郎シリーズ」「忍びの者シリーズ」「陸軍中野学校シリーズ」「若親分シリーズ」などのシリーズものの当たり役を数多く生み出して、我々、日本映画ファンを楽しませてくれました。

その背景には、昭和30年~40年代の映画界の黄金時代の活況というものがあったとしても、こんなに多角的で質、量ともに優れたスターは珍しいと、今更ながら思います。

やっぱりスターというものは、"顔"なんですね。 いかにも歌舞伎出身らしい面長中高の顔だちで、瞼が薄い切れ長の目、長めの鉤鼻。 とりたててハッとする程の美男ではない。 端正だが、平凡で標準的な日本人顔なんです。 しかし、この"平凡で標準的"というのが貴重なのだと思うのです。 雷蔵は自分の"平凡で標準的"な日本人顔を、無個性のサッパリ顔を、まるで能面のように様々なニュアンスをもたせて、自由自在に操るのです。 この市川崑監督の映画「炎上」は、市川雷蔵が27歳の時の出演作で、もちろん三島由紀夫の小説「金閣寺」を映画化したもので、以前から三島由紀夫のファンだった雷蔵は、周囲の反対を押し切って、主人公・溝口吾市の役に挑戦したと言われています。 溝口吾市は、驟閣寺がこの世で最も美しいものだと考えていますが、老師(中村鴈治郎)の女色を初めとするこの寺の俗化に復讐を企てようとするのですが--------。 市川雷蔵初めての現代劇出演作で、流麗で美しいモノクロ映像が絶品の味わいがあります。

小説「金閣寺」は、ある吃音症の青年が「美への反感」から、国宝の金閣寺に放火したという実際の事件にヒントを得て書かれたもので、三島由紀夫独特の、「美」や「絶対的なるもの」に対して、美の使徒である青年が美に殉じる姿を計算され尽くし、確固とした構築された文体で華麗に描いていましたが、映画の方は、金閣寺は驟閣寺と名前を変えられ、原作の小説ほどには、溝口吾市の屈折した心理はあまり伝わっては来ません。 しかし、監督・市川崑、撮影・宮川一夫という黄金コンビによる画面作りには素晴らしいものがあり、雷蔵の顔のアップが正面に捉えられていて、彼の頭に昔のいまわしい記憶が甦る時、彼の顔はそのままで、背景がスーッと変わっていきます。 こういう映像技法に、あらためて映画という物の凄さを感じてワクワクしてしまいます。 原作の小説でもそうでしたが、私が一番強い印象を受けたのは、溝口の大学のクラスメートである戸苅という男の登場シーンです。 溝口はドモリですが、この戸苅という男は足が不自由で、ほとんど前衛舞踊みたいな歩き方をするのです。

この辺りの表現は、実に三島由紀夫的な高等心理作戦なのだと思うのです。 この映画では、戸苅の役をまだ若々しい仲代達矢が演じていて、ポーンと広い、人影のない校庭を仲代が黒いシルエットになって、思いきり体を歪ませて歩くのです。 この場面は妙にシュールで、痛ましい美しさがあって、この映画の中でも強く印象に残っています。

最終更新日:2024-06-12 16:00:02

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