影武者(1980) 作品情報

かげむしゃ

甲斐武田「風林火山」の軍が、三州街道を粛々とゆく。攻めあぐんだ三河の家康の砦、野田城を落城寸前まで追いこみながら、急に和議を結んで、ふたたび甲斐に帰るところであった。孫子の旗を立てた信玄が悠然と馬を進めている。だが、実はそれは信玄ではなかった。信玄に風貌生きうつしの弟、信廉であった。まことの信玄は、野田城攻めの一夜、勝利を目前にしながら、鉄砲で狙撃され、「われ死すとも、三年は喪を秘し、領国の備えを固め、ゆめゆめ動くな」との遺言を残し世を去った。信玄狙撃の報は各大名に伝わり、みな甲斐に注目した。信玄なくば、戦国の版図は一変する。死を秘すことは難事であった。信廉はかねてから、信玄と瓜二つの男を用意していた。その男は無頼の盗人で、磔刑になるところを、あまりの酷似に、ひろいあげて刑を免じ、養っていたのだ。口のきき方も馬の御し方も心もとないこの男は、当然武田の総大将の柄ではなかった。しかし、信玄の遺骸を秘めた大甕を朝もやの諏訪湖に葬る感動的な光景を目撃した“影の男”は、信玄の影武者になることを決意する。敵をあざむくためには、まず味方をあざむかねばならず、その事情は側近のごく僅かな者にしか、知らされなかった。信廉、勝頼らが胆を冷やすことも幾度となくあったが、なんとかきりぬけ、“影”は次第に威厳のようなものをそなえるようになっていく。こうした成行に、内心いら立っていたのは勝頼であった。信玄は世継ぎを竹丸と決めていた。嫡子ではなくとも実子でありながら、家を継げぬ不満に、形の上のみとはいえ、“影”への服従が輪をかけた。その頃、家康は武田への攻撃を計画し、兵を進めた。これにどう対処すべきか、重臣たちの評定は続き、“影”は主戦派の勝頼を制して「動くな、山は動かぬぞ」と結論を下した。心中、大いにゆれ動く勝頼は、ついに独断で兵を動かした。勝頼軍のみで落とせるとはとても思えず、武田軍はやむを得ず、「風林火山」の旗を立てて、勝頼軍の後方に陣をかまえた。戦いは激烈をきわめたが、勝利は、信玄の“影”の上におとずれた。こうしてすっかり影になりきった彼に不慮の事態が起ったのは、遺言の三年が過ぎようとする頃だった。信玄だけが御し得た荒馬「黒髪」からふり落とされたとき、川中島での刀傷がないのを側室たちに発見されてしまったのである。信玄の死は公表され、勝頼が武田の当主となり、“影”はただの男に戻った。天正三年春、勝頼は武田の全軍二万五千を率いて長篠に向う。その進軍の傍をあの“影”が身をかくしながらついてゆく。五月二十一日、信長、家康の連合軍と勝頼の武田軍との戦いの火ぶたが切られた。連合軍の鉄砲という新兵器に、伝統を誇る武田の「風林火山」の陣立てはたちまちくずれていく。戦いの中を、叫びをあげてとびだしていった男がいる。“影”である。その姿は、万雷のような銃声とともに地上にもんどりうって倒れていった。

「影武者(1980)」の解説

武田信玄の影武者として生きた一人の男の悲喜劇と、主人の遺言を守りながら戦場に散っていった家臣たちの辛苦を描く。脚本は「デルス・ウザーラ」の黒澤明と「ダイナマイトどんどん」の井手雅人の共同執筆、監督も同作の黒澤明、撮影は「はなれ瞽女おりん」の宮川一夫、「犬笛」の斎藤孝雄、「乱れからくり」の上田正治がそれぞれ担当。海外版は159分。

公開日・キャスト、その他基本情報

公開日 1980年4月26日
キャスト 監督黒澤明
出演仲代達矢 仲代達矢 山崎努 萩原健一 油井孝太 大滝秀治 室田日出男 志甫隆之 杉森修平 清水のぼる 清水紘治 山本亘 根津甚八 阿藤海 島香裕 金窪英一 宮崎雄吾 倍賞美津子 桃井かおり 音羽久米子 井口成人 隆大介 山下哲生 山中康仁 油井昌由樹 土信田泰史 曽根徳 松井範雄 清水利比古 志村喬 藤原釜足 常田富士男 田辺年秋 山口芳満 江幡高志 杉崎昭彦
配給 東宝
制作国 日本(1980)
上映時間 180分

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ユーザーレビュー

総合評価:4.5点★★★★☆、4件の投稿があります。

P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2024-05-23

黒澤明監督の「影武者」は、カンヌ国際映画祭で、ボブ・フォッシー監督の「オール・ザット・ジャズ」と共にグランプリ(現在のパルムドール賞)を受賞しましたが、私個人の好みから言えば、断然「オール・ザット・ジャズ」の方が、グランプリの受賞に値する作品だと思っています。

この映画「影武者」は、権力に対する皮肉を優れて絵画的な映像美で、全ては夢と幻想であるというモチーフで描いた黒澤明監督の力作だとは思いますが--------。

言うまでもなく、日本が誇る世界的な巨匠、黒澤明監督作品。
1980年度第33回カンヌ国際映画祭で、この映画「影武者」は「オール・ザット・ジャズ」(ボブ・フォッシー監督)と共に、グランプリを獲得した作品です。

当時の海外での評価は異常に高く、本物(存在)と影(外見)という西洋哲学的な主題を、"東洋的な虚無感"と"古典的な様式美"、そして"凝結した躍動美"で映像化する事に成功したと絶賛されました。 また、"輝くばかりのオペラ"、"死の美学"、"映画的勇壮"とも評され、フランスのル・モンド紙は、「映画を見終わった後、全ては夢と幻想であるという作者の声が聞こえてくる」と最大限の賛辞を贈っています。 特に画家を志したという黒澤明監督の、壮麗で豪華な絵画を思わせる絵巻物のような、全編を通しての美しい映像には圧倒されます。 いずれにしても、当時の製作費として14億5,000万円、撮影日数292日、3時間に及ぶこの黒澤作品は、やはり映画史的にも価値のある力作だと思います。 そこには、「羅生門」「七人の侍」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」といった黒澤時代劇の"影"を見る事が出来るような気がします。

最終更新日:2024-11-06 17:05:40

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