P.N.「pinewood」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-09-30
🚇シビリアンコントロールつまり文民統制と云う言葉が本篇のキーワード何だろうと
こうていのいないはちがつ
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この松竹映画「皇帝のいない八月」は、現実味のあるポリティカル・サスペンスだけに、危険な要素があると思います。
まず、この映画は、左派の映画人として知られる山本薩夫監督が、どのような意図をもってこの映画を演出したかに興味があります。
「戦争と人間」「華麗なる一族」「金環蝕」「不毛地帯」と続く作品に、山本監督の一貫した政治的立場をうかがい知ることが出来ますが、この映画についての山本監督の演出の言葉は、極めて明瞭です。
「映画は確実に、"現在"を反映する。私にとって"現在"とは、見えざる権力の影の部分で仕組まれつつある右傾化への危機感である。その右傾化の極北にあるのが、クーデターである。戦後、幾度か計画され未遂に終わったクーデターは、三島事件のように個人の生きざまとして処理され、その背後の黒い影の部分は抹殺されてしまう。『皇帝のいない八月』が素材としている自衛隊クーデターは、もちろんフィクションであるが、日本という精神風土の中で、果たしてクーデターは起こり得ないだろうか。
夜の闇をついて走るブルートレインに託して、私はこの映画で日本の"現在"と、否応なく巻き込まれて圧殺されていく人々の愛を、スリリングに描いてみたい」と語っているように、山本監督は、当時の日本にクーデターの危機を感じていたのかも知れません。 "見えざる権力の影"が、日本を右傾化し、それがクーデターに至るのだとみているようです。 つまり、"影の権力構造"が、彼の一連の作品に見られる批判の対象なのだと思う。 そのような彼の政治思想が、彼の作品に共通する"図式化"を生んでいる一因でもあるのです。 この映画でも、佐林首相(滝沢修)や保守党の黒幕・大畑(佐分利信)の扱いは、安易なパターン化を抜け出していないし、利倉内閣調査室長(高橋悦司)や江見陸上自衛隊警視部長(三國連太郎)の行動も、現実性を欠いているように思えます。 それに、在日米軍トーマス准将が、どのような役割をもっているのかも、クーデターの背景として明らかではない。 "影の部分"が何者であり、それが何故に、またどのようにしてクーデターを操るのかについて、山本監督は明らかにしないで思わせぶりに終わっている。
いずれにせよ、選挙の上に立つ議会制度が、腐敗しマンネリ化した時にクーデターの危機が生じ、また一方、クーデターに危機感をもつことが、民主主義を健全に機能させるとも言えるだろう。 この映画での首謀者・藤崎元一尉(渡瀬恒彦)の悲愴感は、三島由紀夫を想起させるし、映画でも三島最後の記録写真が出て来ます。 「憲法を改めて、かつてあった美しい秩序を、美しい精神を構築する」という藤崎の檄は、三島のそれとあまりにもそっくりです。 三島と結びつけることによって、山本監督はその演出の言葉と違った感銘を、当時の観客に与えたのではないだろうか。 山本監督の意図とは反対に、観客は藤崎の滅私の"生きざま"に、三島を重ねて感動を受けているのかも知れません。 この映画の原作は、小林久三の傑作ポリティカル・サスペンス小説ですが、この原作に忠実な余り、藤崎の妻・杏子(吉永小百合)と彼女の前の恋人・石森(山本圭)の複雑な男女関係を割愛しなかったことが、この映画の男性的な緊迫感を削いでいると思う。
また、ハイジャックされた夜行寝台ブルートレイン、さくら号の岡田嘉子と渥美清の二人も、なくもがなである。 小説では、人間の動きが中心となっているが、この映画では、列車の動きが視覚的にサスペンス感を高めていて、このブルートレインが欠くことの出来ない主役となっているように思う。 尚、この映画の題名の「皇帝のいない八月」とは、"暑い八月の狂詩曲"とも言われる佐藤勝作曲のテーマ曲であり、クーデターの作戦隠語でもあるのです。
壮絶なラストシーンも話題に為った本編,美しい日本に憧れる渡瀬恒彦演じるクーデターのトップの姿は三島由紀夫等の愛国者を彷彿させた…
ブルートレインを使った政治ミステリー、シビリアン・コントロールが争点の現代的主題が印象的な作品。女優を一際美しく捉え演出した山本薩夫監督が吉永小百合を抜擢、渡瀬恒彦とのコンビネーションも何とも佳かった…。滝沢修等、往年の豪華オールスター・キャストも賑やかに愉しめるentertainmentだった!🚂