鬼の詩 作品情報
おにのうた
ほんの一刻、明治の末に、大阪の寄席で桂馬喬は居並ぶ大家の落語より人気を集めた。桂馬喬は桂馬狂ではないかといわれた。まさにその芸は狂であった。しかし、もともと狂っていたわけではない。孤児の馬喬は養父の遺志を継いで芸人となった。最初の彼は古典一途の生真面目な落語を披露していたが、お茶子の露との結婚を境に、積極的な性格に変った。それまでの馬喬は手踊りと芝居咄しを得意とする人気落語家・桂露久の芸を邪道として軽蔑していたのだが、今の彼は、露久の芸を盗み、己れの芸にすべく、一挙一動を真似るのだった。そんなある日、突然、露が流産で死んだ。その日から馬喬の姿が消え、一カ月後、まるで幽鬼のような姿で現われた。以後、馬喬は、幽鬼のような姿で、盲目の乞食巫女を演じ、客席は涌いた。しかし不幸なことに馬喬は天然痘にかかってしまった。病は癒えたが、その顔は無残なあばた顔に変形した。だが、馬喬の芸への執念は、自らの顔を利用した鬼の咄しを考え出して、高座に復帰した。客は馬喬を鬼に見たてて、自分たちが高座の鬼をいじめている錯覚におちいるのだった。他の誰もが真似できない芸を馬喬は己れのものとした。客の馬喬に対する加虐趣味はエスカレートし、ついに馬喬は自分の歪み窪んだあばた顔に煙管を吊した。今日は一本、明日は二本と、客は何本の煙管を吊るすかという期待で集って来た。煙管の林の中に鬼の泣き笑いの顔があった。一本でも多く吊るそうと、馬喬は顔の窪みを深くするために、食を絶った。馬喬が自らの顔に十数本の煙管を吊して、露の位牌の前で死んでいたのは、それから間もなくの事だった。享年、35歳でだった。
「鬼の詩」の解説
明治末期の大阪の寄席で活躍した桂馬喬を主人公に、上方芸人の芸に対する執念と壮絶な生涯を描く。原作は藤本義一の同名小説。脚本は藤本義一と杉浦久、監督は脚本も執筆している「富士山頂(1970)」の村野鐵太郎、撮影は「夜にほほよせ」の吉岡康弘がそれぞれ担当。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 1975年8月16日 |
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キャスト |
監督:村野鐵太郎
原作:藤本義一 出演:桂福団治 片桐夕子 露乃五郎 中原早苗 信欣三 井川比佐志 本郷淳 早川雄三 伊達三郎 入江洋佑 蛍雪太朗 一輪亭花咲 浮世亭歌楽 |
配給 | ATG |
制作国 | 日本(1975) |
上映時間 | 93分 |
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ユーザーレビュー
総合評価:3点★★★☆☆、1件の投稿があります。
P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2023-11-23
村野鐵太郎監督のATG映画「鬼の詩」は、藤本義一の直木賞受賞の小説の映画化で、明治末期の大阪の実在の落語家・桂馬喬をモデルにして、芸の鬼の凄まじい生き方を描いた作品だ。
彼の芸熱心は狂的で、陽気で華やかな芸風の先輩落語家・桂露久(露の五郎)の芸を盗もうと必死になる。
しかし彼は結局、高座で馬糞を食ってみせるというような、自虐的なやり方で評判になる。
物事にとことんムキになる人物に対する村野鐵太郎監督の執着は、この作品で一種異様な人間像を作り出すことに、ある程度は成功していると思う。
また、それが、商業映画の単純なヒロイズムの枠から大幅にはみ出して、一途であることの悲惨と、一途であらざるを得ない境遇や立場の残酷さというところまで、くっきりと描き出すところまで行き着いたことによって、村野鐵太郎監督の独自の世界が確立されていると思う。
ただ、この主人公の自虐的な態度の描き方は、あまりにストレートで余裕がなく、感動するより先にまいってしまったという印象だった。