夜の大捜査線 作品情報
よるのだいそうさせん
ミシシッピーの田舎町スパルタの夜はうだるような熱さだった。警官サム(ウォーレン・オーツ)は深夜のパトロール中、町の実業家が殺害されているのを発見した。サムからの連絡をうけた署長のビル・ギレスピー(ロッド・スタイガー)は早速行動を開始した。気負いたったサムは駅で列車をまっていた黒人をいきなり容疑者として逮捕した。ところがその黒人はバージル・ティッブス(シドニー・ポワチエ)というフィラデルフィア警察の殺人課の優秀な刑事で、休暇で帰っていたのだった。初めて殺人事件を扱うギレスピーはベテランのティッブスの協力を頼みたいと思ったが、人種偏見の強い土地柄、どうしても頭をさげることができなかった。だが殺人犯として逮捕された不良少年が犯人ではないと断定したティッブスの見事な論理にカブトを脱いだギレスピーは渋々と助力を頼みこんだ。絶えず衝突し、感情を抑えながらもティッブスとギレスピーは捜査を続けた。だが白人が黒人に調べられるという屈辱に町民は怒り、捜査は困難をきわめ、ティッブスは生命さえ危険になっていった。これ以上のトラブルをおそれたギレスピーは捜査をうち切るようにとティッブスに勧告したが、ティッブスは聞きいれなかった。そして、実業家は他所で殺されて発見された場所まで車で運ばれたと推理したティッブスは、事件のあった夜、車の中で不良少女と情事にふけっていた食堂のボーイを犯人と断定した。ティッブスの推理は正しかった。ボーイは少女の堕胎費をえるために殺人をおかしたのだった。感情的な対立に苦しみながら、こうして事件は終わった。フィラデルフィアへ帰るティッブスをギレスピーは駅頭に送り、黙したままトランクを持ってやった。無骨なギレスピーの、これが唯一の感謝のしるしだった。
「夜の大捜査線」の解説
アメリカ探偵作家クラブ賞の新人賞を受けたジョン・ボールの原作を、社会派のスターリング・シリファントが脚色し、今ハリウッドで最も期待されている「アメリカ上陸作戦」のノーマン・ジュイソンが監督したサスペンス・ドラマ。撮影はハスケル・ウェクスラー、音楽はクインシー・ジョーンズが担当し、主題歌をソール・シンガーのトップをいくレイ・チャールズが歌っている。主演は、「いつも心に太陽を」のシドニー・ポワチエ、「ドクトル・ジバゴ」のロッド・スタイガー、「続・荒野の七人」のウォーレン・オーツのほかにリー・グラント、ウィリアム・シャラート、ジェームズ・パターソン、クエンティン・ディーンなど。製作は、ウォルター・ミリッシュ。
公開日・キャスト、その他基本情報
配給 | ユナイト映画 |
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制作国 | アメリカ(1967) |
上映時間 | 109分 |
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ユーザーレビュー
総合評価:5点★★★★★、5件の投稿があります。
P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-03
"南部の強烈な人種偏見と闘いながら、鋭い人間描写と緊迫感に満ちた演出で描く社会派サスペンス映画の傑作 「夜の大捜査線」"
1958年のスタンリー・クレイマー監督の「手錠のままの脱獄」でジドニー・ポワチエは、トニー・カーティスと手錠で繋がれた脱獄犯を演じていました。
それが、この1967年のノーマン・ジュイソン監督の「夜の大捜査線」では、頭のかたい保守反動的な、人種差別主義者の田舎町の白人署長ギレスピー(ロッド・スタイガー)をリードする敏腕エリート刑事に扮しています。
この映画の原作は、MWA新人賞を受賞したジョン・ボールの「夜の熱気の中で」。
主人公の黒人刑事バージル・ティッヴス(シドニー・ポワチエ)が、フィラデルフィアから南部の田舎町にやって来て、乗り換えのため駅で待っていたところ、黒人という理由だけで殺人の容疑者となった彼は、人種的な偏見と差別意識の強い、地元の白人たちと闘いながら、てきぱきとこの殺人事件を解決に導いていきます。
偏見のかたまりだった白人署長との間にも、友情が芽生え始めるが-------。
1958年から1967年に至る9年の間に、アメリカ社会ではどのような動きがあったのか。 公民権法が成立したのが1960年。 1963年のジョン・F・ケネディ大統領の暗殺をはさみ、キング牧師らをリーダーとする人種差別反対の集会やデモ、あるいは暴動が相次いで起こる。 そして、1964年にヴェトナム戦争が開始され、1965年には急進的な運動家であったマルコムXが射殺されている。 この映画の原題通り、まさしくアメリカ全体が"in the heat of the night"の真っ只中にあったのだ。 この映画で描かれている、黒人が白人を小気味よくやっつけるというモチーフは、そうした時代背景をリアルに反映していると思う。 もっとも、現実には、小気味よくやっつけきれないために、こういう映画を観てリベラルな観客、特に黒人は溜飲を下げていたのかも知れません。 この映画の撮影は、イリノイ州やテネシー州を中心に、全てロケーションで行われたそうで、泥沼状の河と広大な綿畑しかない南部の田舎町が広がっている世界だ。