主演に西島秀俊を迎え、村上春樹の短編を映画化し、第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で日本映画史上初となる脚本賞ほか全4冠に輝いた濱口竜介監督最新作『ドライブ・マイ・カー』(8月20日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開)。第46回トロント国際映画祭や第69回サン・セバスチャン国際映画祭への正式出品も決定するなど、日本公開を前に世界から大きな注目を集めている。カンヌ国際映画祭での上映時にも、「悲しみと再生について描いた、深い感動の物語(Variety)」、「濱口監督は、この映画で世界的な才能の持ち主であることを証明した(Little White Lies)」など海外メディアの熱いレビューが寄せられていた本作。8月20日からの日本公開を前に、一足先に本作を鑑賞した各界の著名人たちから絶賛コメントが到着! 建築家、東京大学特別教授・名誉教授の隈研吾は「逃げずに、向き合わなくてはいけないというメッセージが、赤いサーブの美しいエンジン音と共に、今でも僕の車の中に響き続けている。」と一人の男の“再生”を描く本作に深く感動した様子。また、『パラサイト 半地下の家族』でアカデミー賞最多4部門を受賞した映画監督のポン・ジュノは「濱口監督は、最近の日本やアジアにおいて非常に稀有な監督だ。」と濱口監督の手腕を高く評価。濱口監督が共同脚本を担当した『スパイの妻〈劇場版〉』で監督を務めた黒沢清も「こんな自動車映画いまだかつて見たことがない。」と本作独自の世界観を絶賛した。また、劇作家で演出家の岩松了や前川知大、藤田貴大、『寝ても覚めても』(18)で濱口監督作品に出演経験のある俳優の瀬戸康史、ミュージシャンの坂本美雨、作家の遠野遥など各界の著名人に加え、数多くの映画ライター、評論家たちからも賞賛の声が寄せられた。
喪失を抱える男が「再生」へと向かう姿が観る者の魂を震わせる。
妻との記憶が刻まれた車が辿り着く先とは—?
逃げずに、向き合わなくてはいけないというメッセージが、
赤いサーブの美しいエンジン音と共に、今でも僕の車の中に響き続けている。
——隈研吾(建築家、東京大学特別教授・名誉教授)
人はなぜ物語を求めるのかを問う
その動機が知りたきゃ走る車に乗ってみろと言われてるような
そんな素敵な『ドライブ・マイ・カー』‼︎
——岩松了(劇作家・演出家)
サーブの切り立ったフロント・ウィンドウが、身悶えしながら次々とトンネルに吸い込まれていく。
それは西島秀俊のたどる過酷な運命そのものだ。
こんな自動車映画いまだかつて見たことがない。
——黒沢清(映画監督)
世界の監督も演劇界も熱狂!映画史を塗り替える、新たなる傑作の誕生!
濱口竜介監督は、最近の日本やアジアにおいて、非常に稀有な監督だ。
執拗に、粘り強く、決して焦ることなく、着実に自身が伝えようとするところに辿り着く。
どれだけ時間がかかったとしても。そんな怪物のような強靭さを備えている。
『寝ても覚めても』の時から既に巨匠の領域に入っていたが、その巨匠の領域を証明した映画が『ドライブ・マイ・カー』だ。
——ポン・ジュノ(映画監督)
濱口監督の映画は、迫力がある。
慌てず急がず、丁寧に、紡ぐように語るのに、妙な迫力がある。それが三時間続く。
いつの間にか、他者という謎と、自分という謎についての気付きが、心の深いところに芽生えていた。
反芻しがいのある、すごい映画だ。
——前川知大(劇作家・演出家)
見立てられたイメージによって、疾走と失速を同時に見た。初めての体験だった。
わたしたちは飛ぶこともできるが、思考のなかで立ち止まることもできる。
そして、それらはすべて音の残像と余韻に含まれるものだった。
——藤田貴大(演劇作家)
傷ついたふたつの魂の浄化と再生の物語。「生き残った者は、死んだ者のことを考えつづける……ぼくや君はそうやって生きて行かなくてはいけない」。終幕近くに置かれた主人公のことばが胸に迫る。
全編をとおして木魂しているのは、チェーホフの芝居『ワーニャ伯父さん』だ。「あたしたちは苦しみました、泣きました、つらかった」、そんなソーニャの台詞がリフレーンのように観る者の心のひだに波紋を広げてゆく。静かに、しかし深く……。これは映画史上にも刮目すべきチェーホフ劇として記憶されるだろう。
——浦雅春(ロシア文学者)
人の本当の「心」とは——。登場人物から溢れる言葉に目が離せない!
静けさの果てに
人の本当の心が溢れ出す瞬間は
時が止まったように美しく、
思わず、息を止めていた。
——坂本美雨(ミュージシャン)
男性と女性。同じ人間なのに生き物としてこんなにも違うのですね。
そして、そこに「演技」というエッセンスが入ることで、登場人物たちの本心はどこ?と惑わされる。
そこが観ていて可笑しい。濱口組で過ごした時間を懐かしく思いました。
——瀬戸康史(俳優)
死者の言葉が現在を生きる登場人物たちの物語と交錯し、作品に奥行きを与えている。
——遠野遥(作家)
喋るほどに空っぽな入れ物になる大人たち。
車や子供やオバケたちが、まったくけしからん!と彼らの周りを駆ける。
——夏目知幸(ミュージシャン)
「神業」「驚きを抑えられない」「最高傑作」…“映画のプロ”たちも大絶賛!
知りたい、わからない、それでも知りたい。
人と人とが理解しあうこと、つながりあうことはとても困難だけど、
ここにはその可能性を示す道筋がまざまざと記録されている。
声や語りや芝居の力によって。驚きを抑えられない。
——門間雄介(ライター・編集者)
これは、映画史に残るオープニング。
どの俳優にとっても代表作であり濱口竜介監督でなければ達成できない最高傑作を、私は一生忘れないだろう。
——伊藤さとり(映画パーソナリティ)
同じ言葉を使っていても人と人の間にわからなさはあって、
それでも話し、聞くことでその隔たりを乗り越えていく、という希望を見た。
——小川知子(ライター・編集者)
これほど緊張感がみなぎる映画には久々に出会った。
プロデュースワークと作家性。多声的なテクストの衝突と、融和の可能性。
あらゆる意味で『戦メリ』(大島渚)を感じる。筆者はこういう闘い方が大好きだ。
——森直人(映画評論家)
静謐な作品に見せかけているが、
精緻な脚本と隙の無い演出、内面に潜る演技でするりと観る者の心に“合流”し、生の感情を引きずり出す。
「乗せられている」ことすら気づかせない神業に、ただただ震え、敬服した。
この傑作が往く道は、きっと世界に直結している。
——SYO(映画ライター)
これは、世界も認める人間賛歌を描いた正真正銘の濱口竜介監督作品だ。——松崎健夫(映画評論家)
チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を劇中劇として抱える本作は、劇内外の物語が共振して葛藤の深度を増していく。村上春樹の短編を再構築し、埋もれた救いを形にする旅に出た濱口竜介の道程には、聖なる赤い箱に身を委ねた巡礼の、静かな温もりが確かにある。
——中井 圭(映画解説者)
張り詰めたスクリーンの静寂に、
彼らの心の声が聞こえるのではないかと息を詰めて見入ってしまう。
小説ではできない映画表現を最高のカタチで実現した。
この旅は映画館の大スクリーンでなければ体験できない。
——立田敦子(映画ジャーナリスト)
ともに怒りや痛みを受け流してきた空洞を抱え、
ともに身近な存在を殺めたのでは? という強迫観念を抱えている。
舞台演出家の家福と雇われドライバーのみさきは似たもの同士だ。
ふたりの共有空間の赤い車がまがまがしく変質するせつな、
一発の銃声の反響が劇中劇の『ワーニャ伯父さん』を招き寄せ、
ワーニャと家福が、そしてワーニャの妹ソーニャとみさきが、
火影が揺れるように観るものの胸中で呼応し合う。
ワーニャの肩口からソーニャが波動を放つ「長台詞」の場は、
村上春樹の短篇が書かずにいた家福とみさきの行く末をも想わせ、
怒りや痛みを胸元で濾過したような、清浄・崇高の時空となる。
——後藤岳史(映画ライター)