主演に西島秀俊を迎え、村上春樹の短編を映画化した濱口竜介監督最新作『ドライブ・マイ・カー』(8/20 (金)より TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開)。現地時間7/6(火)〜17(土)開催の第74回カンヌ国際映画祭の授賞式が7/17(土)19:30(日本時間:7/18(日)2:30)に行われ、見事、『ドライブ・マイ・カー』が日本映画として初となる脚本賞に輝いた。また、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞という3つの独立賞も受賞。カンヌの歴史を塗り替える偉業を達成した。授賞式を終え、受賞者による記者会見(フランス現地時間7/17(土)22:00頃(日本時間7/18(日)AM5:00頃)に濱口竜介監督が登壇。日本映画初となる脚本賞受賞、その快挙を成し遂げた脚本執筆の裏側について語った。*賞は、共同脚本を務める濱口竜介監督と大江崇允、二人に贈られた。
<濱口竜介監督 記者会見内容>
―—決して複雑な脚本ではありませんが、登場人物が作用しあっていて複雑な人間関係を描いた演劇のようでもあります。どのようにして流れを作ったのでしょうか?
濱口: 重要なのは原作の物語だと思います。村上春樹さんが書かれた「ドライブ・マイ・カー」という物語の登場人物の魅力を決して損なわないようにと考えていました。家福とみさき、この二人がすごく抑制された人間性で、自分のことをあまり喋るわけじゃないんだけれども、それぞれ腹のなかに渦巻いている感情というものはあって。それがあるきっかけて出てきてしまう。内にある物が溢れ出してくるという流れを一つの軸として考えていました。
実際”流れ”というものはものすごく意識して書いていたと思います。滞ることがあってしまったら、この長い物語というのは、観客にとってとても負担になってしまう。淀むことなく進んでいくように、ということは考えていました。
それが一体どうすれば出来るかと思ったとき、実際に流れるように書こうと意識していたと思います。
とにかく、何度も何度も村上春樹さんの原作を読み、そして原作以外の要素としても、「ドライブ・マイ・カー」が入っている短編小説集「女のいない男たち」の要素をピックアップしていくために読みました。そして原作の中にあった「ワーニャ伯父さん」を何度も何度も読みました。それを繰り替えして自分に要素がインプットされたら、それを一気に流し込むように書くってことをやっていました。どこかで止まってしまったらちょっと戻って、流れが淀まないような形で一気に書くということを何度か繰り返した結果だと思います。
―—とても素晴らしい映画でした。シーンが進むごとに風景や音の表現が変わっていくのも興味深かったのですが、それは登場人物の心情の変化を表すためでしょうか?
濱口:登場人物を変えるためにと言うよりは、登場人物が変わっていくと登場人物の関係性なり感情が変わっていく。すると自然に音が変わっていくってことがあると思います。単純に出てくる感情によって声が違うってことがあるし、関係性によって言葉の出て来方が違うんですよね。
ある時はバーっと流れるように溢れてくる、それは中盤以降、家福とみさきの関係性で起こることですけれど、一方で、それだけある種の言葉が溢れた後っていうのは、二人はまた沈黙をする関係に戻っていく。でもそれは最初の頃の沈黙とは意味が違う沈黙と思っています。二人の間の親密さみたいなものを観客が確信して味わったあとのものなので、この沈黙の中に観客はもっと今までよりも分厚い何かを受け取っているんじゃないか、という風に思っています。沈黙の感じ方みたないもの、環境音の聞き取り方みたいなものが、登場人物の変化を通じて観客の耳も変わってくることがあるんじゃないかと思っています。