長崎の原爆投下から75年の節目に製作された『a hope of nagasaki 優しい人たち』。これまでマスコミなどの取材をほとんど受けていないという被爆者10名の声を1年かけて集め、一本の証言ドキュメンタリー映画としてまとめたものだ。手掛けたのは、元衆議院議員でもある松本和巳監督。取材を通じて、悲しい過去を乗り越えた人たちが未来に向けての平和への思いを語る。被爆体験を語れる人たちがどんどん少なくなって今、その声を残すべく地道な活動を続ける氏に話をうかがった。
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松本監督が長崎と、そして原爆と関わるようになった経緯について教えてください。
■松本和巳監督:とある要件で長崎に行ったとき、空いた時間を使って被爆者の声を集めようと。「原爆のことは取材し尽くされていて、証言したことのない人なんていないよ」とも言われましたが、アーカイヴ活動のつもりで始めたんです。皆さんご高齢なので、今撮っておかないと生の声を聞くチャンスが失われてしまうとの思いで。取材を進める中で、有名な写真「焼き場に立つ少年」(※)の男の子と話をしたというおばあさんがいるとの情報が寄せられました。それはちゃんと取材しなくては、と思って話を聞かせてもらいました。そのあとよく調べると、ジョー・オダネル氏が撮影した時期とおばあさんの記憶には時間的な乖離があるので、断定するのは無理があると思って一度断念したのです。そうした中、(本作にも登場する)村岡正則さんという方が「焼き場に立つ少年」の男の子を探している、という知らせが入り、NHKが村岡さんを特集した番組を見てみると、彼が(少年を)目撃したという場所と例のおばあさんの証言がほぼ一致したのです。「繋がったぞ!」という興奮もあって、ちゃんと調べないとと思った一方で、現時点では物的証拠のない記憶の話に過ぎないので、言い切るのはよくないと。これはYouTube動画にまとめることに止めました。
そのアーカイヴ活動として取材して撮りためた素材が、この映画になったわけですね。
■松本監督:原爆から75年目の昨年。8月9日に長崎でお披露目上映会を、ということになって、それまでに集めた素材をまとめてみました。編集すると70~80分の尺になったので、それならば映画にしましょうということになったんです。「映画」となれば映画史に残りますしね。コロナ禍で出席できなかったんですが、長崎での上映会では良いリアクションをいただけましたので、ぜひ多くの方に観ていただけるようにと。そんな経緯ですから、初めから映画としてスタートしたわけではないのです。
当時の記録映像などを挿入するといった考えはなかったのでしょうか?
■松本監督:当時の映像もあるから使っていいよ、と地元のテレビ局からオファーをいただきましたが、敢えて使用しませんでした。体験者たちが伝えたいものを自身の声で、口述で伝える――オーラルヒストリーに拘ったのです。そして皆さんの名前は出さない。「誰が」ではなく、語ったことのみが残って欲しいという考えからです。
一方で、テロップ(字幕)で皆さんの発言内容をフォローしています。
■松本監督:そう、彼らの言うことが正確に伝わるようにと。敢えて意訳せず、なるべく発言されたままね。当初は字幕すら入れてなかったのですが、長崎弁はかなり聞き取りづらいと思って(笑)。僕のミッションは彼らが語ってくれたことをきちんと、(観てくれる)皆さんに感じてもらうことですから。
アップでとらえた表情からは感情がよく伝わってきます。
■松本監督:人間の感情は目から出る、と思っています。彼らの感情をしっかり受け取ってもらいたいから、“寄り”が多くなるんです。さらに言えば、これからはスマホで映像を観る時代。その画面サイズにはアップがちょうどいい。
お話をされる皆さんが原爆を落としたアメリカを「恨んでいない」とおっしゃるので、少し不思議な感じがしました。
■松本監督:「原爆当時の悲惨な話が中心になるだろうな」と思いながら取材を始めたんですが、最初の方が「恨んでない」とおっしゃるので「あれ?」と思って、それならば全員に同じ質問をしてみようということに。そうしたら10人全員が、異口同音に「恨んでない」と言うのです。「怒りの広島 祈りの長崎」という言葉があるけれど、長崎がキリシタンの街だからみんな温厚? いやいや、それはちょっと違う……。皆さんと接しながら自分なりに思ったのは、“優しい”からではないかと。原爆で肉親や友だちを亡くし、戦後はいじめや差別など、いろんな辛い出来事を経験して乗り越えてきた強さがあるからこその“優しさ”だと思うんです。
現代の「いじめ」に心を痛め涙するおばあさんもいらっしゃいました。
■松本監督:原爆の瞬間を体験したことは10人共通のことだけれど、そのあと75年間の人生はそれぞれ。いろんな生きざまを経て今に至っている。今まであまり語られてこなかったその部分が共有されてこそ、「戦争はやっちゃいけない」と言えるんじゃないかな、その期間こそが大切なんじゃないの、という考えに変わったんです。いじめや差別は、コロナ禍のまさに今も起きている。福島の原発事故のときもありました。戦後75年経っても繰り返されているのです。そんな「人間がやってしまうこと」を共有したうえで、次の世代に問うていかないと。共有してこなかったから繰り返されてしまうんです。
皆さんのお話を、今を生きる人たちがどう受け取るか気になるところです。
■松本監督:皆さんに「今、幸せですか?」と訊ねたら、辛いことを経験してきたにも関わらず「幸せです」と言ってくれたことは、このコロナ禍で大変な思いをしている方々へのメッセージになるのかなと、編集している最中に見えてきました。苦難を乗り越えてきた人たちの声として、すごく大事だと思います。また再び長崎でアーカイヴ撮影を始めました。第二作目に繋がれば良いと思っています。
【取材・文】川井英司
※ 原爆投下のあと、アメリカ人カメラマンの ジョー・オダネル が撮影したとされる写真。10歳くらいの少年が亡くなった幼児を背負ってまっすぐに立ち、火葬場の順番を待っている様子を収めている。
■作品解説 『a hope of nagasaki 優しい人たち』
75年の時を経て語られる、被爆者10名の思い
今までマスコミなどで語られたことのない被爆者たちの新たな証言をドキュメンタリー映画化。既に多くのアーカイブが残され、もう語ることができる体験者はいないだろうと言われて久しい中、1年を掛けて取材を続け、その中から得た10名の証言を一本の映画として完成させた。そこから見えてきたものとは……。
音楽はアルパ奏者の”小野華那子”が書き下ろし、ミュージカル界の宝”海宝直人”が主題歌「坂道」を歌い上げる。(作品資料より)