幼い頃に母親を病気で亡くし、新しい家族のもとで初めての夏を過ごした自分自身の経験を繊細に綴った『悲しみに、こんにちは』で、第68回ベルリン国際映画祭の新人監督賞とジェネレーションPlus部門グランプリの受賞を皮切りに、世界各国の映画祭を席巻。スペイン版アカデミー賞とも呼ばれる2018年のゴヤ賞では新人監督賞、助演男優賞、新人女優賞に輝いたスペインはカタルーニャ州出身のカルラ・シモン監督。7月21日(土)の日本公開前に来日した監督にお話を伺った。
余計な音楽や説明が一切無く、大切なことがぎゅっと凝縮した素晴らしい映画だと思いました。ドキュメンタリー風といいますか、意図的にそういう描き方を選んだのですか?
■カルラ・シモン監督:ストーリーを書くときは、できるだけ普通に人間が知識を得るのと同じ形にしたいといつも考えています。たとえば誰かに会っているときに、その人が自身の人生を解説風にすべて語ってくれるわけではありませんよね。何かしらのディテールの積み重ねで、少しずつ事情が分かってゆきます。ですから、映画でも直接的な説明を観客に与えるのではなく、ある程度自分で考えてもらって、多面的に自分の頭の中でキャラクターを知ってゆく、ストーリーに入ってゆくという形にしたかったんです。また、ドキュメンタリータッチについては、最初からそう決めていました。なぜなら、自分が映画を観るときは、できるだけ写実的でリアルな作品が好きなので。
効果的でしたね。冒頭の夜の花火のシーンから後ろ姿のシルエットのフリダに感情移入ができました。これからいったいこの子に何が起きるんだろうと。完璧な導入だと思います。
■カルラ・シモン監督:私の母が亡くなったのは実際には3月だったので、このシーンとは違うのですが、祖父は年始の休みのときに亡くなったんです。周りは全員お祝いモードなのに、自分だけに悲しいことがあるというのを、この映画に入れたくて。それで、周りがお祭りで騒いでいる中で、フリダだけが違う気持ちでいるということを描きたかったんです。
フリダの視線がとても大切にされていて、彼女自身、まだ幼いので、きっと自分に何が起きているのか、これからどうなるのかわかっていない。けれども、一生懸命、周りの大人たちを観察して、さらに、試そうとしますよね。自分にどういう反応があるか。それがとても切ない。よくわかります。
■カルラ・シモン監督:自分がとくに描きたかったのは、子どもは子どもなりに考えているということ。そこにただいる存在だけでなく、自分で色々解釈しようとしているし、周りに何が起きているのか、一生懸命理解しようとしているんです。ある程度は理解できるけれども、そこでどうするかということだけ分からない。そういうイメージを出したかったんです。
フリダを演じたライア・アルティガスがとても魅力的でした、オーディションは大変だったということですが、彼女を選んだポイントと演出の大変さを教えてください。
■カルラ・シモン監督:キャスティングのプロセスはとても長くかかりました。全体で1000人くらいの女の子に会って、最終的に選ばれたライアは後ろから2人目だったんです(笑)。最後の最後に出会いました。見た目ではなく性格が似ている子を探していたんです。そこで会話をしながら色んな質問をして、どんな答えが出てくるかを見極めました。子どもは誰でもロールプレイングができるんです。自分が今こういうキャラクターであるとか、ああいうキャラクターであるとか、どの子どもでもやっていると思います。そこで様々なテストをしました。たとえば、今、目の前にいるのがお母さんだったらどうするか、学校の先生だったらどうするかとか、そのゲームに入り込んで熱心にやってくれました。相手によって行動を変えてゆくのはすごいなと感心しましたね。そしてもう一つ、子どもは誰でも嘘をつきますから、どれだけその嘘がうまいかやらせてみました。ライアはとても上手でした。これだけできるなら演技もできるなと判断しました。それから、やはり視線なんですよね。彼女の視線は無垢なだけではなく、ちょっと狡そうなところ、隠れた部分があって、彼女がこちらを見るときに感じました。監督として、この子を撮りたいなと感じさせてくれたんです。
ある種の奇跡ですよね、こういう出会いは。フリダの妹になるアナ役の子パウラ・ロブレスも可愛かったですね。無邪気に「あたしのおねえちゃんよ」と近所の人に自慢するけれど、フリダにとってはそんなに単純じゃない状況なわけで、環境の変化というか、そのコントラストもよかったです。
■カルラ・シモン監督:急に姉妹になるわけですからね。普通の家庭では自分が先にいて、その後に弟や妹が生まれます。この映画の場合は、いきなり自分より年上の存在が現れる。それは子どもたちにとって普通のことではありません。フリダは今まで一人っ子で甘やかされてきました。親も病気でしたし、周りの親戚にたっぷり甘えていました。それが、急に自分が世界の中心ではなくなる。自分より年下の子がいるという状況に戸惑います。アナのモデルである私の妹は、実はこの映画に出ているんですよ。一番若い叔母さんの役なんですけど。ほんとうのアナとも今でも仲良しで、こうやって映画に出てくれています。
それは素敵ですね。アナの両親の功績だと思いますが、フリダにとっては叔父叔母にあたる彼らも若いのに素晴らしい。甘やかすだけのおじいちゃんやおばあちゃんと違って、ひとりの子育てでも大変だろうに事情のある姪っ子を引き取って、甘やかさずに普通に接しているところが偉いです。彼らの存在がとてもよく描けていて、控えめな中にもとてもいいなと思いました。
■カルラ・シモン監督:映画でもちらっとそういう話が出ているのですが、私の生みの母が、死を覚悟したときに、手紙で叔父と叔母に遺される私をよろしくと頼んだのです。母が自分で決断したんです。周りは、バルセロナにいる祖父母やほかの親戚たちに任せた方がいいんじゃないかと説得しようとしましたが、なるべく田舎の落ち着いた普通の環境で、ちゃんとお父さんお母さん、妹がいる本当の家族の一員になるのが一番いいと考えたのです。当時、親戚たちにはなかなか理解されませんでしたが、今になってみれば最良の選択でした。
それがなかったら違う人生だったかもしれないですよね、監督自身。ところで、カタルーニャは、スペインという大きな国の中の自治州ということでが、独自の言語カタルーニャ語を守っているというのがすごいことだなと思います。カタルーニャ語(カタラン)を使い続けるということに意味があるんですよね。映画の中でも、実際の生活でも。
■カルラ・シモン監督:まず、私たちは映画をつくる際、カタラン語にするか、スペイン語にするか悩みました。カタラン語にすればリアリティがありますが、スペインの他の地域で公開すると他のヨーロッパの国の映画のような扱いをされて、字幕で観なければならないという妨げが生じます。それで、最終的にスペイン語吹替版もつくりました。なぜカタラン語で撮ることにしたかというと、自分が育った村ではカタラン語が普通に話されていましたし、キャラクターのパーソナリティもカタラン的であって、そういうリアルな描写を狙ったので、カタラン語でないと成り立たないからです。次に、カタラン語とスペイン語の共存についてなんですが、ここ数年、いろいろな政治家の運動でとても極端になっていて、どこまで共存できるか激しい対立が起きています。そういうこともあり、最初はためらいもありました。カタラン語で喋っているからスペインの他の地域で反感を買うんじゃないかと。でも、この映画は一切政治とは無縁ですから、そういう政治的な部分はまったくありません。結果として全国で愛される映画になりました。米国アカデミー賞外国語映画賞のスペイン代表にも選出されましたし。ストーリーは全国共通ですから政治的なところを抜きにすれば共感できるんだとわかりました。
シモン監督のプライベートなストーリーが詰め込まれた映画ですが、育った時代も場所も違う私にとってもプライベートな映画になりました。子どもの頃の記憶が甦りました。
■カルラ・シモン監督:映画をつくる側の人間として、それを一番自覚したのは今回の映画です。様々な国の映画祭や劇場で、観客の反応を目にしましたが、多様な文化や国という違いを超えて、おおむね似たような反応だったんです。この映画は人情について描いていますが、いろいろな場所で共通しているのだなと実感できました。
まさに映画の力ですよね。見事な長編デビュー作です。監督にとっては自分を見つめ直す作業だったと思いますが、脚本も手がけていらっしゃいますので、書いて撮るということについて聞かせてください。
■カルラ・シモン監督:映画のためのストーリーをなぜ自分で書くのかというと、わたしの家族が大家族だから。亡くなった生みの母の家族に、その後の家族もいて、それぞれに広がっていて、とにかく親戚がたくさんいるんです。親戚がたくさんいると、ストーリーもたくさんあります。これまでたくさんの人を見てきましたから色んなストーリーを語りたいなという思いが大きくなりました。
ところで、好きな映画監督は誰ですか?
■カルラ・シモン監督:フランスの女性監督クレール・ドゥニですね。それにスペインのヴィクトル・エリセ、カルロス・サウラ。アルゼンチンの女性監督ルクレシア・マルテル。イタリアの女性監督アリーチェ・ロルヴァケル。アメリカのジョン・カサヴェテスなどなどたくさんいますが、どの監督からも何かしら影響を受けています。具体的にどういうことかは説明できませんが。今回の映画で一番強く影響されたのは、自分の子どもの頃のアルバムですね。昔のことを色々と思い出しました。
辛い記憶であり、美しい思い出でもある。素晴らしい夏の映画だったと思います。ラストシーンもよかったです。フリダがあそこに至るまでが意味のある大切な時間だったんですね。
■カルラ・シモン監督:私は生みの母が亡くなったとき泣かなかったんです。それがトラウマになっていて。後になって何度も泣きましたが。この映画の中で、最後のシーンを撮るのはとても難しかったんです。何回もやり直しました。途中で諦めなくてはならなくなり、二通りのエンディングを撮りましたが、結果的に、違和感のない満足ゆくエンディングを選ぶことができました。
いいシーンでしたね。
薄暗く湿った森の秘密の祭壇、水遊びに興じる川のきらめき、大きな仮面の人形が踊る祭りの興奮…。カタルーニャの小さな村を舞台に、6歳の幼い少女が経験する孤独と戸惑いと不安を彼女の眼差しをとおして描いたカルラ・シモン監督。長編第一作にして、この完成度の高さは並々ならぬ才能の証しだ。1980年代から90年代のヨーロッパを吹き荒れたエイズの猛威に親を奪われた辛く悲しい記憶と、新しい家族と居場所を見つけた美しくも切ない夏の思い出が語られる自伝的な『悲しみに、こんにちは』は、誰にとっても心が疼く忘れがたい夏の映画になるに違いない。
【取材・文】斉田あきこ