12月24日公開の映画『オアシス:スーパーソニック』は、リアム&ノエル・ギャラガーが製作総指揮を務め、バンド結成から96年のネブワース・ライヴまでの軌跡を描く、オアシス初の長編ドキュメンタリー。製作には、アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞に輝いた『AMY エイミー』のスタッフが結集した。
今作の舞台は1993~96年。オアシスのその3年間とはどんなものだったのか?
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バンド結成は1991年まで遡る。1993年までの2年間、売れない時期を過ごした。その間もノエルは曲を作り、リアムは歌った、ただがむしゃらに。「フィル・コリンズやスティングやクソ音楽を撲滅する。俺たちがチャートに入ってな。10年後にフィル・コリンズの首がうちの冷蔵庫に入ってなきゃ俺の負けだ」。当時のノエルの言葉だ。
1993年にグラスゴーの“キング・タッツ・ワー・ワー・ハット”で行われたライヴ。オアシスは出演する予定ではなかったが、他バンドの取り計らいでたまたま出られた。クリエイション・レコーズのアラン・マッギーもオアシスを見に来ていたわけではなかった。トップバッターの知らないバンド──しかし、セットリストが進むにつれアランの興奮は高まる。1曲目で一緒に来ていた妹が「すぐに契約を」と言い、2曲目で「契約しよう」、3曲目で「絶対する」と思ったアランは、演奏後のノエルに声をかけその場で契約が成立。偶然と偶然が生み出した運命、それは奇跡の始まりだった。
デビューアルバム『オアシス』が英国チャート1位を記録、英国史上最速のスピードで売れた。初の世界ツアーで日本にも旋風を巻き起こし、その後アメリカにも進出。ロンドン・アールズコートでのライヴは2日間で4万人を動員、ヨーロッパの屋内ライヴ動員数のギネス記録となった。
しかし、光差すところには影もある。メンバーの解雇・脱退、深まる兄弟間の亀裂、タブロイド紙の餌食となるギャラガー一家。「オアシスはフェラーリと同じだ。見るにはいいが、スピードを出しすぎると制御不能になる」(リアム)。歯車が狂っても止まることなく突き進み、その先にあったのがあのネブワース・ライヴだったのだ──。