幸村の凄まじい生き様を口舌豊かに語り尽くす。『映画 講談・難波戦記 ―真田幸村 紅蓮の猛将―』旭堂南湖氏オフィシャルインタビュー

幸村の凄まじい生き様を口舌豊かに語り尽くす。『映画 講談・難波戦記 ―真田幸村 紅蓮の猛将―』旭堂南湖氏オフィシャルインタビュー
提供:シネマクエスト

11月21日に初日を迎える『映画 講談・難波戦記 ―真田幸村 紅蓮の猛将―』から、講談師・旭堂南湖氏の公式インタビューが到着した。

戦乱の世、徳川家康という巨大な権力を持つ男の首にあと一歩のところまで迫り、今なお老若男女からその人気を一身に集める伝説の戦国武将・真田幸村。これまで数々の小説・漫画・ゲーム・ドラマ・映画で描かれ、2016年にはNHK大河ドラマ「真田丸」の放映が控えている。

その幸村人気を牽引した、まさに原点といわれる「講談・難波戦記」がスクリーンに登場。講談師の旭堂氏が、幸村の凄まじい生き様を口舌豊かに語り尽くす。
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映画作品への参加は初めてとのことですが、出演したご感想はいかがでしょうか? また、完成した作品をご覧になっていかがでしたか?

お話を頂いたときは、こんなに良いものになるとは思っていなくて、初めは新手の詐欺じゃないかと思ったくらいでした(笑)。撮影のときにも思いましたが、エンドクレジットを見て改めて本当にいろいろなスタッフの皆さんが携わっていて、映画ってすごいですよね。

私は大阪芸術大学を卒業しているんですが、実は映画に携わる仕事がしたくてその大学に通っていたんです。4年間もいれば他のものに興味も出てきて、講談という伝統芸能の世界に入ったんですが、それが今、回りまわって映画の仕事にもなりました。映画はずっと大好きでしたが、まさか出演する側になるなんて。感慨深いです。

これまでも映像作品への出演はあったかと思いますが、今回の映画作品で何か違いはありましたか? 特に苦労された点などありますか?

スタジオで、お客さんなしで撮影をするということがまず、ないんです。テレビなんかでも、お客さんがいてライブで収録するということはよくあって、それでしたらいつも通りお客さんの反応を見ながらできるんですが、スタジオでさらにお客さんの反応がないとなると、いつもは笑いが起きるところでも「滑ってる」という気分になってしまって……(笑)。笑い声を聞けないとなかなか調子が上がらないものですね。

あとは、撮影のときは背景がどうなっているのか、カメラに自分がどう映っているかが分からないので、完成図を全く想像できなかったです。出来上がったものを見て、「こんな風に語りに合わせて変化をつけていたんだな、すごいな」と驚きました。

「講談」というと、あまりなじみのない方が多くなってきているのかなという印象ですが、講談を知らない方にもおすすめできる仕上がりですか?

やはり「講談は分からない」という方が多いですね。「講談会があります」と言っても、分からない、想像できないものには行かないのが人間ですよね。でも今回は「映画」ですから、間口を広げてアピールできると思います。

「難波戦記」という演目について、何か思い入れはありますか?

上方講談には大ネタと言われる大きな演目がいくつかありますが、「難波戦記」はその中でも代表的な演目です。大坂が舞台の話で、歴史とは少し違う講談独特の物語がある。非常に長い話でもあります。講談の世界に入って、「こんなに奥深い物語なんだ」と知ったのも「難波戦記」がきっかけでしたね。よく「講釈師、見てきたように嘘をつき」と言いますが、まさにそれです。教科書に載っている歴史とは全然違う話なんですが、夢がある“嘘”だと思います。

大坂の人々が負けてしまう話ですが、「こういう歴史もあったんじゃないか」と思えるような夢がある。そして、時代は変われど“人間”の物語なんです。400年経とうが人の心は変わらないもので、幸村の気持ちも分かるし、かんな屑だらけになって脅える家康の気持ちもわかる。それぞれの気持ちが今に通じる部分がある、面白い演目だと思います。

さらに、江戸時代、徳川の世の中では、語ることが許されていなかった内容なんです。徳川を批判する内容ですから。実際に「難波戦記」をやった講釈師が島流しにされたという記録も残っているそうで、当時は本当に命がけだったんです。「重罪になっても人々にしゃべりたいんだ」という先人の想いは、やはり未来に繋げていきたいと思っています。

講談独特の話法である「修羅場読み」のくだりが多く登場します。非常に迫力があり大きな見どころかと思いますが、こだわりや工夫されていることはありますか?

講談は「修羅場に始まり、修羅場で終わる」などと言われたりします。この世界に入ってまず一番に稽古をするのがこの「修羅場読み」なんです。講釈師としての声をつくる、リズムをつくる、第一の修業です。これは本当に難しくて、30年、40年講釈師をやって、最後にまた修羅場に戻ってきて、やっとうまくできるようになるものです。そして、他の芸能には全くない、講談独特の芸で、ラップなんかに近いかもしれません。

明治時代の演芸評に「“修羅場”は難しい」と書いてあるほど、見ているほうにも伝わりづらいものなんです。100年前の人が見ても難しいと感じるものですから、現代の我々が理解できないのも当然です。分からないなりに、リズムや時折たたかれる張扇(はりおうぎ)の音を楽しむということはされていますが、残念ながら「分からない」というのが一番多い感想です。講談は伝統芸能であると同時に“大衆芸能”でもあるので、お客さんが分からないものはやらなくなってしまい、今、修羅場をやる方は少なくなっているんです。それはもったいないなと思うので、私はできるだけ修羅場を入れるようにしています。

今回の映画では、修羅場読みのとき、画面に言葉が文字で映し出されていて、非常に分かりやすくなっています。耳で聞いて分からなくても、文字で見れば理解できる内容なんです。これは非常に良い演出でした。

話中に、擬音語が多く登場します。あまり聞き慣れないものも多い印象ですが、講談の基になる実録本が書かれた時代には実際に使われていた言葉なのでしょうか? 講談独特の表現ですか?

昔から伝わっている表現です。馬が歩く音で「ポシャクリポシャクリ」というものが出てきますが、珍しいですよね。聞き慣れない表現ですが、元気のない馬の歩く様子が、なんとなく浮かんできて雰囲気が増すような感じがしますよね。講談独特のものかどうかは分からないですが、映像が全くない時代の言葉で伝える話芸ですから、そういう表現にも磨きがかかって、効果的になっているんだと思います。音楽的な要素もありますよね。

我が家に5歳のこどもがいるんですが、今回の作品の編集中の映像を送ってもらったときに一緒に見たんです。幸村がどうのこうのという話は理解できなくても、擬音表現には5歳のこどもにも分かる原始的な面白さがあるようで、その部分があることで飽きずに最後まで見ていましたし、「もう一回見る」といって繰り返し見ていました(笑)。

「難波戦記」の中で南湖さんが一番お好きな場面はどこでしょうか?

やはり、「家康・討死」の場面ですね。史実とは違う講談独特のエピソードなんですが、まるっきりの嘘でもないというのが講談なんです。必ず辻褄を合わせようとしますし、全部が創作ではないんです。さらに、創作の部分も物語として非常によくできているんです。家康が死ぬ場面までの流れや、それに絡んだ「六文銭(真田家の家紋)」の登場の仕方など、「そりゃあ死ぬな」と(笑)。本当にそういうことがあったかもしれないなと思いますよね。

来年にはNHK大河ドラマ『真田丸』の放映が控え、注目されている真田幸村ですが、幸村人気の原点ともいえる「難波戦記」を何度も上演されている南湖さんが思う、幸村の魅力とはどんなところでしょうか?

やはり圧倒的な「ヒーロー」であるということです。大坂方にも他に活躍した人はいますが、やはり幸村が一番。軍師としての頭の良さがあり、ビジュアルも真っ赤な鎧兜、兜の上には鹿の角と美しい。講釈師が作り上げた部分もあると思いますが、人間として良いところが集まっている人物ですごくかっこいいなと思います。

大河ドラマも楽しみですよね。三谷幸喜さんがこの作品を見てくれたら、脚本のヒントが見つかるかも分かりませんよ。

最終更新日
2015-11-12 12:21:52
提供
シネマクエスト(引用元

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