オープンセサミ フルモテルモ配給作品『ハリウッド 1969 シャロン・テートの亡霊』が、8月30日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷にて没後50年記念緊急公開され、ヒットスタートしています。この度、公開を記念し、ヒューマントラストシネマ渋谷スクリーン2にて、映画評論家の滝本誠さんをゲストにお迎えして、トークイベントが開催された。
イベントが行われた9月1日日曜の夜、老若男女幅広い年齢層に埋まった会場の中で、「チャールズ・マンソン 悪魔の告白」「聖書」「プレイボーイ」「ロマン・バイ・ポランスキー」(洋書)の書籍を傍らに、これから映画を見る観客に向けて、本作を見る鍵となる要素について解説。
まず一つ目は、「チャールズ・マンソン 悪魔の告白」の中から、犯人の一人テックスがマンソンに「どこを襲えばいいかわからない」と聞いたところ、例えとして「テリーの家とか知っているじゃないか」と、マンソンが答えたところから、テリーが引っ越したと知らない犯人たちに、ロマン・ポランスキーとシャロン・テートの家が襲われたという事が語られた。
二つ目にロマン・ポランスキーとシャロン・テートが引っ越した家は、もともとキャンディス・バーゲンとテリー・メルチャーが住んでいた家で、この 2人の関係がそのまま続いていれば、家を出ることはなく、殺されたのはシャロンでは無かったかもしれないということ。
更に、「ロマン・バイ・ポランスキー」の中で、ポランスキーが8月9日当日のことを語っている。シャロンが庭で目のない小動物の死体を見た話しなどシャロンと長く電話で話した後、何かを感じたのか、即アメリカ行きをポランスキーは決め、シャロンお気に入りのイギリス人乳母のアメリカ行きVISAを準備しようとした。しかし、夜7時頃に L.A.から悲劇を伝える電話が入った。他に、シャロン・テートは、本格的デビュー作『アイ・オブ・デビル』のアドバイザーの魔術師の魔女儀式に参加したことなどが語られた。
滝本さんが語るキーワードはすべて本作を見る上で重要な意味を持つもので、観客は静かに耳を傾けていた。『ハリウッド 1969 シャロン・テートの亡霊』は、『戦場のピアニスト』や『テス』、『チャイナタウン』、『水の中のナイフ』などで知られる、名匠ロマン・ポランスキー監督の妻で、新進の女優だったシャロン・テートが、1969年8月にチャールズ・マンソン率いるコミューン「ファミリー」に惨殺された現実の事件を題材に、彼女の最後の日々を描いた作品。本作の監督ダニエル・ファランズは、1968年8月にシャロンがインタビューで、その後の運命を予感させる悪夢を見たと答えている記事を偶然見つけ、本作の製作を決意しています。もし彼女が自分に降りかかる悲劇的な運命を正確に予知できていたなら、彼女はその運命を回避できていたのだろうか。
シャロン・テートの死から50年、奇しくも昨今、1968年と69年を振り返る機会が多くなっている。昨年には製作50年を迎えたスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(68)が世界中で公開され、今年は 1969年のハリウッドを舞台にしたクエンティン・タランティーノ監督、レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット主演の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19)が公開されるなど、この時代、その当時の文化に対する若者の興味もかきたてられている。
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『ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊』
8月30日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷にて没後50年記念緊急公開中!
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