世代を超えて熱烈なファンを数多く持つ歴史小説界の巨星・司馬遼太郎原作「関ケ原」。現在までに単行本・文庫を合わせた累計発行部数が620万部を超える国民的“ベストセラー”が、『日本のいちばん長い日』で第39回日本アカデミー賞優秀作品賞、及び優秀監督賞を受賞した巨匠原田眞人監督の手により初の完全映画化。
8月14日(月)、映画『関ヶ原』の山本章プロデューサーのトークイベント付き一般試写会が開催されました。映画の上映終了後に満員のお客さんが待ち受ける会場に、拍手で迎え入れられ登場した山本プロデューサー。映画の内容であればお答えしますということで行われた、お客さんとのティーチインタイムでは、会場のお客さんから沢山の質問が投
げかけられました。
会場最前列に座られた男性からの、「伏見城でのシーンは東本願寺で撮影したと聞きましたが、他にも歴史建造物での撮影はしたのでしょうか?」という質問に、「原田監督が『駆込み女と駆出し男』を撮影していた時期に、並行して『関ヶ原』の企画も動いており、一緒に京都周辺のお寺や神社などをロケハンしていました。原田監督は本物のロケーションにこだわっており、今回は京都松竹撮影所に大阪城、大垣城、伏見の加藤清正屋敷などの一部がセットとして作られたが、ほとんどのシーンはロケーション撮影です。その中でもやはり仰る通り、東本願寺は、映画の撮影で初めて使用できたということも大きかったです。なんで借りられたかというと司馬遼太郎先生が新聞記者時代に東本願寺とのご縁があったということと、映画の題材が『関ヶ原』であったことが大きかったです。ただ一つだけ借りる際に躊躇されたことがありまして、東本願寺といえば、徳川家康のゆかりの地ということで、最初は伏見城の千畳敷のシーンに豊臣秀吉も登場するため、秀吉のシーンの撮影NGが出ましたが、これだけ素晴らしいロケーションだったので家康のシーンだけの撮影でと原田監督と相談し進めていたのですが、最終的には秀吉といっても晩年の頃の秀吉ということで許可が出て、伏見城のシーンは、東本願寺で撮影することができました。」と史実を描いている作品ならでは、意外なエピソードも飛び出し、また「通常の小早川秀秋のイメージは悪役だったり、裏切り者のイメージが強いですが、今回の小早川秀秋は悩む青年という感じで描かれていましたが、なぜですか?」との質問には、「小早川のキャラクター像には原田監督の強い思い入れがあって、実際監督も過去には裏切り者や悪役のイメージを持っていたそうですが、25 年という月日をかけて構想を練っていく中で、小早川を主人公にしようと思うくらい、小早川のことも調べていたんです。ただ監督の中で、日本の歴史は勝者が作り上げてきたものだという考えがあり、どうしても徳川家康よりの主観で作られているものが多く、小早川のイメージも家康に脅されて、加担していったという固定観念がありますが、映画ではその裏で彼自身の葛藤があったはずだ、と。そうでないとその数年後に毒殺されて亡くなるという末路にならないのではないかという思いがあり、このようなキャラクター設定になりました。監督は、東出さんに対し、【全国の小早川さんに誇れる小早川さんを演じてほしい】と言っていましたしね。」と小早川のキャラクターについての監督の考えを語りました。
最後に司馬遼太郎の原作「関ケ原」が上中下巻あることから、「撮らなかったけど、本当は映画の中に盛り込みたかったエピソードはありますか?」の質問に対し、「上中下巻って、そもそも映画で収まりきるような尺ではないんですよね。(笑)だから実は、はじめは前後編、もしくは、3部作で描くかという話も出たんです。実際、前後編の脚本は存在したんですよ。ただ、色々な都合もありで、今の『関ヶ原』の形になったわけですが、その中で描かれていたのは、原作にもある、伏見城を落とすシーンですね。本編の中では小早川秀秋が北政所のところへ行って、「家康様は怒っていないだろうか?」というセリフだけで終わっているのですが、あれは描きたかったシーンではありましたね。」と脚本制作時の知られざるエピソードも飛び出しました。
映画『関ヶ原』は8月26日(土)全国ロードショーとなります。
-----------------
出演:岡田准一 有村架純 平岳大 東出昌大/役所広司
監督・脚本:原田眞人 原作:司馬遼太郎「関ケ原」(新潮文庫刊)
製作:「関ヶ原」製作委員会 配給:東宝 アスミック・エース
(C)2017「関ヶ原」製作委員会