異人種間の結婚がタブーだった時代のアメリカ史上最も純粋なラブストーリー『ラビング 愛という名前のふたり』。3月3日(金)の公開を控え、ジェフ・ニコルズ監督のインタビューが到着した。
これまでも何度かカンヌ映画祭に参加されていますが、今回と比べていかがでしたか?
■ジェフ・ニコルズ監督:あまり驕っていると思われたくないけど、『MUD マッド』でも僕と妻は招待された。その時は僕も妻もとても緊張していたよ。作品がどう受け止められるか不安だった。それに「どこに行けばいい?今、どこに立つべきなんだ? このイベントはこれからどうなるんだ?」って感じでね。今回は、どうなるかわかっていたから、不安やドキドキは一切なかった。だから、とても楽しめたよ。今回ほどカンヌが楽しめたのは、2000年にインターンとしてアメリカンパビリオンに来たとき以来かもしれない。当時は大学一年生で、インターンシップを取って、アメリカンパビリオンでウェイターをやったんだ。素晴らしい経験だったね。母が買ってくれたタキシードを着て、非公開の試写会のような、コンペティション映画のチケットがもらえるんだ。毎晩のように飲んだくれていたよ。最高に楽しかった。あんなに楽しい経験はあれ以降できてないね。
この作品が世に与える影響について考えていらっしゃいますか?
■ジェフ・ニコルズ監督:その点については、まだ不安なんだ。評価については、賛否両論あるようだから。それに、自分の作品については、僕は特に厳しくなるんだ。でも、この映画は少し違う。これは、100%オリジナルの素材から作った作品ではないから。僕の頭の中で作り上げられた作品ではないからね。だから、感じ方も少し違う。この作品については自分の作品としてはあまり自慢できないと思うんだ。映画全体としては自分の手柄とすることもできるけど、ストーリーに関してはね。だって、これは僕が考えたものではなく、彼らに本当に起こった物語なんだ。僕には直接関係のない出来事だ。重要な事をしたのは彼らの方で、僕はただそれを守りたいと思っているんだ。僕の発言は尊大に聞こえるかもしれないけど、重要なことだから主張するんだ。僕が作ったから重要なんじゃなくて、彼らが行動を起こしたことが重要なんだ。
彼ら二人の視点から物語を伝えようと決めたのはどのタイミングですか?
■ジェフ・ニコルズ監督:ドキュメンタリーを見た瞬間だね。彼らに関するビデオを見た時から、それは決めていた。本当に魅力的なカップルで、ただ(友人として)付き合いたいと思った。もう亡くなってしまったけど、祖父と一緒にいるだけで楽しかったのと同じようにね。飾り気のないシンプルな人たちなんだ。僕の祖父もそうだった。だから、彼らと一緒に過ごしてみたかった。彼らが自分の望むように生きられないという事実に胸が張り裂けそうだった。ドキュメンタリーの中で、バーニー・コーエンが最高裁での勝利について、それがどれほど画期的で素晴らしい出来事だったかを語るシーンがある。ドキュメンタリーを制作した女性監督のナンシー・バースキーは「ラヴィング夫妻は、その事実をどうやって知ったのでしょうか?」と鋭い質問をするんだ。彼は「ああ、確か電話で話したと思いますよ」と答える。彼は自分の勝利しか見えてなくて、彼ら夫婦とは何の関係もないんだ。ラヴィング夫妻と裁判との間にある距離やギャップを強調したシーンだった。彼らは、ささやかに暮らしていた。夫であるリチャードは、毎日レンガを積む仕事をしていた。公民権運動にも参加せず、ただ生きて、家族を作りたいと考えていたんだ。僕は、なぜかそれがとても重要で、誠実なことだと感じたんだ。
リサーチでは、どんな方法を取ったのですか?
■ジェフ・ニコルズ監督:ドキュメンタリーによってさまざまな事実が明らかになり、情報を一つの場所にまとめることができた。ただ、問題なのは、彼らの私生活については、ほとんど情報がなかったことだ。目立たない、静かな人たちだったからだと思う。ホープ・ライデンというドキュメンタリー作家が作ったドキュメンタリー映像があった。ライデンは、1960年代に2人が生活していた家を訪れている。少なくとも2回、彼らの家を訪ねているが、これはすごいことなんだ。本当にラヴィング夫妻と一緒にいるような気分になる。当時の彼らは、自分たちの目の前で起こっていることが、どれだけ長く影響を及ぼすか理解していなかったんだ。この映像がアーカイブとして記録されると思っていなかったから、カメラの前で本当にリラックスしている。カメラを前にすると、雰囲気が変わってしまう人を大勢見てきたけど、このドキュメンタリー映像ではそれがほとんど見られない。インタビューを受けている時、リチャードがカメラを意識して、ピリピリしてナーバスになるシーンもあるけど、暖炉に薪をくべたり、タバコを吸うシーンもある。僕は、こういった一つひとつの情報をすべて吸収した。こういう生活の特定の瞬間を切り取った情報がなければ、その時代において彼らが本質的にどういう人間だったかということの理解だけで終わってしまっていただろうからね。
ラヴィング夫妻の子供たちは協力してくれましたか?
■ジェフ・ニコルズ監督:今も存命なのは、ペギーという女性1人だけなんだ。1967年当時はまだ5歳だったので、この映画で取り上げられている時代の記憶に関しては限られていた。しかも、父親によく似ていて、静かで多くを語らない女性なんだ。彼女から話を聞き出すのは、非常に難しかったが、僕がどうしても信じられなかった話を裏付けしてくれた。弁護士と話した時、「いいですか、彼らがケンカするところを一度も見たことがありません。本当に、お互いに愛し合っていたんです」と言っていたけど、「ウソこけ、そんなはずないだろう」と思った。この関係にいつヒビが入るんだろう?いつバラバラになってしまうんだろう?って考えた。でも、ペギーは(弁護士の言うとおりだったことを)裏付けててくれたんだ。「いいえ、うちの家ではまったくそんなことはありませんでした」と言ってね。その後、2008年に彼女が言ったコメントを見つけて、それを映画の最後のクレジットにした。「父は私をとても大切にしてくれました」というコメントだ。父親が死んで30年経っても、彼女は彼を愛していて、今も尊敬の念を忘れていない。胸が張り裂けそうな思いだった。それがペギーが証明してくれたことであり、彼女のコメントによって僕が再確認したことだ。物書きとしては、ウソ臭い話だとしてもね。だって、それで何が残るというんだろう?でも、物語として矛盾するところは何もない。いつ別れてしまうんだろう?いつ、彼は友だちの家で寝泊まりしなければならなくなるんだろう?でも、そんな悲しい結末にはならなかった。無理やり、物語をそんな方向に進めようとするたびに、不誠実な気分になった。
『ラビング 愛という名前のふたり』では、その哲学から脱却したのでしょうか?
■ジェフ・ニコルズ監督:おかしなことなんだが、逆に、原点に戻ったような気がしている。自分の作品を振り返ってみると、『ラビング 愛という名前のふたり(原題)』は、デビュー作の『Shotgun Stories(原題)』に一番近い作品だと思う。僕の作品は、徐々に規模が大きくなっていたんだ。『テイク・シェルター』は、『Shotgun Stories(原題)』よりスケールが大きいし、『MUD マッド』は、『テイク・シェルター』よりさらに規模が大きくなった。『MUD マッド』よりさらにスケールが広がったのが『Midnight Special(原題)』だ。「さあこれから、製作費が1億ドルの映画か、小規模なインディペンデント映画を作るのか、どっちだ」と、考えた。自分でも興味深いことだと思うし、気分転換にもなったんだが、『Midnight Special(原題)』を作った後、「これまで学んだことを活かし、この10年で培った専門的な技術をすべてつぎ込んで、デビュー作と同じぐらい静かで地味な作品を作ろう」と考えたんだ。カーチェイスも派手な銃撃戦もないけど、自分自身の手で美しい瞬間を捉えられることにワクワクしたよ。『Shotgun Stories(原題)』の時は、まだ振り回されているみたいだった。その瞬間を捉える方法を理解しようともがいていた頃で、その結果、作品には美しいエネルギーが生まれたと思う。初めての作品だからこそ、起こり得たことだ。新たに身につけたスキルで、これと同じぐらい静かな作品を再訪しようとしたんだ。
原点に戻って、どうでしたか?良い感覚でしたか?
■ジェフ・ニコルズ監督:すごく良かったと思う。自分のキャリアの中で初めて、自信を持つことができた。自分がこだわっていたキャストのギャラなど予算が必要だったので、資金集めに奔走したけど、期待したほどは集めることはできなかった。何とか35日分の撮影費用は捻出できたけど、台本から考えて40日は必要なことはわかっていた。35日でクランクアップすることもできたかもしれないし、若い頃のジェフ・ニコルズなら24日間で撮影したかもしれない。でも、そんなことはしたくなかった。こういうことにウンザリしていたんだ。「時間もないし、撮り直しできる安全策はないから、うまくいってることを祈ろう!」みたいな、博打のようなやり方はもう嫌だったんだ。
『ラビング 愛という名前のふたり』を作らなければ離婚すると、奥様が半分冗談で脅したというのは本当ですか?
■ジェフ・ニコルズ監督:本当だよ。すごく面白い話だよ。カンヌに行く準備をして、インタビューのために情報を整理していた時、この作品に関するメールをすべて保管した「ラビング 愛という名前のふたり(原題)」とだけ書かれたサブフォルダを見つけたんだ。フォルダを最初の方から遡って見ていたら、メールが3本あった。まず、エージェントが送ってくれたドキュメンタリーの予告編、次にそれに対する僕の返信、そして3番目が妻に宛てて、その予告編を送ったものだった。「この映像を見てほしいと言われたんだけど、どう思う?」と書いてね。彼女の返信はシンプルで、「あなたのことを愛してるけど、この映画を作らないなら、離婚するわよ」と書かれていた。たぶん、半分は本気だったんじゃないかな(笑)。彼女は、僕の映画作りには欠かせない人物なんだ。マシュー・マコノヒーのために『MUD マッド』を書いた時、彼を主役にすると、ギャラを捻出できず、資金繰りがうまく行かなかったんだ。そこで「代わりに誰を主役にするべきか」という議論をしていた時、妻は「あなたはマシュー・マコノヒーのためにこの脚本を書いたんでしょう。私はマシュー・マコノヒーでこの映画を見たいわ」と、ずっと言ってくれた。彼女は僕にとってのバロメーターみたいな役割で、今回も支えになってくれたよ。
ルース・ネガのことはどこで知ったのですか?
■ジェフ・ニコルズ監督:オーディションに最初に来たのがルースだった。キャスティング担当のフランシーヌ・メイズラーは非常に優秀な人物で、彼女が最初に連れて来たんだ。僕は知らなかったが、ルースはドキュメンタリーが発表された時から、個人的に見て勉強していたらしい。映画が制作されると知って、どうしてもオーディションを受けたかったそうだ。部屋に入って来て、僕の目の前に座り、口を開いた瞬間、彼女はミルドレッド・ラビングそのものだった。それ以上、何もすることはなかったよ。
ジョエル・エドガートンの場合はいかがでしたか?『Midnight Special(原題)』にも出演していましたが、その際、『ラビング 愛という名前のふたり』の話はしたのですか?
■ジェフ・ニコルズ監督:『Midnight Special(原題)』でジョエルと仕事をしていた時、僕はすでに『ラビング 愛という名前のふたり(原題)』の脚本を書き上げていた。その時、ジョエルにはアクセントを操る才能があることに気づいたんだ。リチャードの声のイメージは頭の中にあった。ジョエルなら、実際にその才能を使って、リチャードの声を再現できると思った。それから、彼に注目するようになったんだが、ジョエルは外見もリチャードに似ていた。これが僕にとって非常に重要なことだった。『MUD マッド』を書いた時は、マシュー・マコノヒーを思い描いていた。『ラビング 愛という名前のふたり(原題)』は、ミルドレッドとリチャード・ラビング夫妻のことを思い描きながら書いた。だから、彼らを体現できる俳優を見つける必要があったんだ。
この映画では、これまでとは違う種類の責任感がありましたか?
■ジェフ・ニコルズ監督:もちろんだよ。これは架空のキャラクターではなく、実在した人々の物語だから、真摯に考えた。派手さのないとても静かな映画で、それはラヴィング夫妻そのものだと思う。ただ、面白いことに、一部の批評は「いや、待てよ。これは公民権運動だ!大きなムーブメントだ!アグレッシブな時代だったのだ!」みたいな論調だった。もちろん、それも本当のことなんだが、ただ、それはラヴィング夫妻の状況には当てはまらない。制作の初期の段階から、できる限り、リチャードとミルドレッドの視点から映画を作ろうと決めていた。つまり、映画の構成も、トーンも、シーンのスタイルもすべて、この2人の人柄を反映したものになるということだ。当然、僕が創作した部分もあるので、実際に起こったかどうかわからないシーンもあるが、彼らの人柄を理解し、彼らの本質的な部分から外れることがないように努力した。「こんなことが実際に起こったかどうかはわからない。でも、本当にこんな感じだったはずだ」って感じだった。少なくとも、この2人を人間としてきちんと描けていると思っているし、それが僕にとって重要なことだった。僕は、公民権運動に関する映画を作った監督として考えてほしくない。もし、それがテーマなら、もっと優れた監督が他にたくさんいる。それよりも、ある2人の人間に関する映画を作った監督だと思ってほしいし、彼らの本当の人となりを讃えたかったんだ。そのキャラクターの描き方次第で家族が不快に感じたり、実在の人物の残したものを取り上げるような映画を撮ったことがなかったから、最初は怖かった。これは非常に大切なことだった。ラヴィング夫妻を見た時、僕が本当に心惹かれたのは、彼らが政治にまったく関心がないことだった。彼らの結婚は、政治的な抵抗ではなかったんだ。もしこれが政治的な表明だったとしたら、これは僕の考えだが、愛の価値は消えていたと思う。
そういう思いがあったから、この時代で最も純粋なラブストーリーと表現したのですか?
■ジェフ・ニコルズ監督:本当にそう思うんだ!ムーブメントの象徴でありながら、お互いに対して純粋な愛を持った夫婦の両方であるなんてことはできない。他の人々がどう考えるかに関係なく、これが僕の解釈であり、僕が見て感じたことなんだ。あのドキュメンタリー映像を見た人なら、誰でも同意してくれると思う。そう思わずにいられない。あのドキュメンタリーにはカットになったシーンがあるんだ。制作者のナンシーが60年代中頃から持っていたホープ・ライデンのオリジナル版を送ってくれたんだけど、ドキュメンタリーの制作者がリチャードに裁判の結果について話してほしいというシーンがある。そこで、リチャードは「ああ、そうだなあ。彼女はこの手紙を書いたのさ。誰宛てに書いたんだっけ?」って言うんだ。彼女が「ロバート・ケネディよ」と答えると、「ああ、そうだった。彼宛てだ」と言う。それが演技ではないことは見ていてわかる。彼らは小細工をして、何かを手に入れようなんて考えていなかったんだ。彼らは非常に特殊なコミュニティの中で恋に落ち、貧しく、特に人と違うところもなく、目立つ存在でもなかったから、誰も自分たちのことなど気にかけないと思っていた。誰にも邪魔されることはないだろうと。ところが、邪魔をする人間がいて、それが彼らの人生を変えてしまったんだ。
あの判決の意義するところを過剰に演出することはできなかったのではないでしょうか?
■ジェフ・ニコルズ監督:その通りだね。初めてフォーカス(フィーチャーズ)に映画を見せた時、幸いにもすでに映画の配給は決まっていたし、気に入ってくれていたんだが、「タイトルカードに、『スポットライト 世紀のスクープ』のように、その後の20年間で結婚した夫婦の名前か、異人種間結婚の件数を入れてほしい」と言われたんだ。その数は膨大だし、重要な数ではあるけど、それを示すことの重要性に関しては否定はしなかった。ただ、この判決が政治的かつ社会的な影響を与えたことは理解していても、僕は、この映画のエンディングを政治的な意味づけのないものにしたかった。僕がやりたいことがあるとすれば、たとえば、「ラビング 愛という名前のふたり Day」に制定されている6月12日、広報の補足資料として、異人種間結婚をした夫婦を取材して、彼らの物語を話してもらうことだ。それを広告の補助資材にして、社会的・政治的な問題を取り上げた作品として、映画のコンセプトを広げてみるのもいいと思う。ただ、映画という世界の中で、説教したりしたくない。だって、それはラヴィング夫妻とはかけ離れたことだから、つじつまが合わなくなる。僕の考えでは、矛盾したことになると思う。
それでも、この映画は観客にメッセージを伝えると思いますか?
■ジェフ・ニコルズ監督:そうだね。素晴らしいのは、この映画は平等な結婚という問題と関係ない人々、つまり人種問題の向こう側にいる人々にも届く可能性があるという点だ。自分たちが信じていないことについて説教される映画を見に行かないだろう。僕たちが彼らの信念やシステムに賛同するかどうかは別として、こういう人々は、同性愛婚に対して固い信念を持っている。少なくとも、アメリカにはそういう人は数多くいる。こういった人々にも作品を届ける唯一の方法は「ある話題について、あなたが間違っていると声高に叫ぶのはやめよう。ただ、ある2人の人間がお互いに純粋な愛情を持っていたことを伝えよう。2人のことを人間として知ってほしい。この物語の陰にある人間性について知ってほしい。あなたの考え方ももしかしたら変わるかもしれない」というメッセージを伝えることだ。たぶん変わらないだろうけど、変わる可能性もある。だから、映画の物語の構造を守るのは、とても重要なことなんだ。全てのことを映画に含める必要はない。公民権運動を描いた映画を作るつもりはないし、実際に起こったすさまじい法廷での争いを描いた映画を作るつもりもない。それとはまったく別のことを描きたかったんだ。
『ラビング 愛という名前のふたり』の制作で、最も大きな課題は何でしたか?
■ジェフ・ニコルズ監督:当時の古い小道具をそろえることだね。僕は1978年生まれなので、1950年代や1960年代については、まったくわからない。『Midnight Special(原題)』の場合も、『MUD マッド 』や『テイク・シェルター』の場合も、セットに入って、どんな風に仕上げるか、細かいところまで指示することができた。ただ、今回の場合は違う。プロダクションデザイナーのチャド・キース、衣装デザイナーのエリン・ベナッチにすっかり頼り切っていた。「この時代の正解がわからないから、リサーチは君たちに任せたよ。どれが正解か教えてくれ」ってね。また、この映画は、インディペンデント映画として書いたわけではないんだ。予算のことを考えもしなかった。実際見てみると、さまざまなシーンがある。ロケハンも多かった。ただ、映画を見ている間は考えもしないと思うが、映画を作る側になると、あらゆるロケ現場を作らなくてはならない。特に時代物だから、膨大な量の作業が必要になったんだ。