P.N.「鎌倉の御隠居」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2025-06-15
聾者の両親を持つ健常者、先立つ洋画で多くが知ることとなった所謂「コーダ」の物語。作品の基軸となっているその事情複雑、特異な設定を、もっと重く捉えて鑑賞すべき作品なんだろう。しかしながら、これはきわめて個人的なことなになってレビュー本来の趣旨からは大きく外れることになるのだが、その設定ゆえの物語に心震わされたのではなかった。結果的にそうなったのか、あるいは意図してそうしているのか知る由もないのだが、本作が明瞭に描出する普遍的な母子関係に、評者としては深く打たれるものあって、それゆえにこれまで未見でいたことを叱責するしかなかったのである。ただその普遍性に新味はない。若い鑑賞者には、なんだただの老齢趣味ではないかと一笑にふされるかもしれない。個人的には、さだまさしの『無縁坂』と共振する抒情である、と書いて分かってもらえる人に納得してもらえれば、それでいい、と思っている。
強い決意で、わが子を産んだ父と母。そのことだけに限定してもたくさんのことが書けるだろう。ふたりして息子を全肯定する姿勢にも心揺さぶられる。上京して一人暮らしする愛息への母からの差し入れと紙幣の額には、誰もが言葉を失うはずだ。淡々と描かれて重ねられた場面場面を一気に重く色鮮やかに意味付けするラストシーンがもたらす時空超越力のなんという素晴らしさか。聾者の女優として知られる忍足亜希子の肩肘張らない演技が優しく美しい。おそらくあえて並べられた主人公のお食い初め期から青年期にいたるまでの場面場面が、きわめて自然な形で吉沢亮扮する青年像に収斂し説得力を醸し出す。短い尺のなかで、よくぞ成長の段階に時間を費やした、と脚本、演出のプランを称揚したい。朴訥で、いささかのんきな気のいい主人公を輪郭明瞭に体現した吉沢亮の説得力ある演技は文句なし。現在全国公開中の『国宝』とならんで吉沢亮の代表作となるだろう。原作をすぐ読みたくなる善意溢れ余情に満ちた逸品である。ただ、くどいけれど本レビューに客観性は希薄。ラストの主人公にひたすら個人的に同化させられ、なんと評点は『国宝』を上回ってしまうのである。諒とされたし。