P.N.「頂点は空っぽ、自ら輝け。」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2021-02-14
究極の社長室は、何もない、空っぽだったり。
登山家が、登頂して、達成感もつかの間、満たされることはなく空っぽ。
聖地を目指し、奥宮を目指すも、空っぽの造形的なモノがあるだけ。
時代をさかのぼるほど、
象徴的に、印象的、形式的、物質的な手段が必要になる。
幼子に自転車の補助輪が、必要だが、自分で漕げれば、補助輪も、わざわざ考えなくても、自分で、自転車を漕ぐ。
日本では、足下を照らすとか、心に太陽をとかある。
イルミナリティ、照らす、自ら輝け、ってこと。
究極の目的に向けて、手段は、必要だが、それは、自分自身が、光となること。
そこに必要なモノは、すべてあるのだから、何も必要としない。
作品全体は、ミサのようで、教会音楽のようで、柔らかな光に包まれているようで、心地良かったです。
インタビューは、素敵な人柄が滲み出た方々ばかりで、余計、安心感に包まれました。