P.N.「pinewood」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-11-16
世田谷美術館の北川民次展には藤田嗣治が描いた北川民次の肖像画が二点。繊細なペン画touchのものや諧謔調のもの。また北川民次の描いた戦時中の作品も。メキシコ時代の民衆画,版画そして美術教育の中の童画の世界何処かで恩師・藤田嗣治と繫がりながら交錯する抑圧・制限下の絵画表現
ふじた
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世田谷美術館の北川民次展には藤田嗣治が描いた北川民次の肖像画が二点。繊細なペン画touchのものや諧謔調のもの。また北川民次の描いた戦時中の作品も。メキシコ時代の民衆画,版画そして美術教育の中の童画の世界何処かで恩師・藤田嗣治と繫がりながら交錯する抑圧・制限下の絵画表現
昔,絵画研究所の広島出身の学友が藤田嗣治の或る戦争画の大作を観て,こりゃージエノサイドの光景,反戦絵画,戦争告発画じゃないかなと感想を漏らしていた。余りにも悲惨で軍部も思わずたじろいで仕舞ったエピソードも在る藤田,エコール・ド・パリ時代の交遊,世界大戦で垣間見た花の巴里の悲惨さ,ピカソのゲルニカ,オットー・デックスの戦争告発の版画等の流れから考えるならー。機械文明とヒットラー独裁への警鐘の一文は藤田も残していたとか
この映画を観て、とても感動した。私は昔、藤田嗣治さんのカフェを見て、ひじょうに感動したことがある。だからこの映画は興味深かった。これは藤田嗣治さんのひたむきな人生に対する情熱に魅了されてしまった。オダギリジョーさんの演技は素晴らしい。中谷美紀さんはやはりキラリと光っている。演技も抜群だ。これは一見の価値がある作品だ。
NHKETV日曜美術館で従軍画家の戦争記録画に附いて放送されて居た。記録絵には日本兵士の死体は画いてはいけ無い等,戦意高揚に反する描写は禁じられていて藤田嗣治のアッツ島玉砕の死んだ兵士の顔は全て米兵と云う徹底振りだったとか。本篇の後半に拘わる帝国巡回美術展での軍神の様な光景がふと脳裡に過った
キスリング展を観てると彼が同じエコール・ド・パリ仲間の謎の東洋人の藤田嗣治と同じお河童な髪型をしている時代が在る事が判る。得意な裸婦像を描く日々の疾風怒濤の青春期の其れが本篇の前編でフェリーニ監督の作風宛らに画かれたんだ~
NHK日曜美術館でノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの「浮き世の画家」のテレビドラマ化の模様が放送されて居た,主演は渡辺謙。此処でも時代の波に呑み込まれ時流に乗った尖鋭画家の末路が描写されるらしい…。明らかに藤田嗣治等のimageが内包された歴史ドラマ何だろう。昭和舘に取材して再現された戦中の宣伝美術画は今から見ると奇怪なアナクロニズムで美と言うよりも醜悪な引用のコラージュ集見たいだが!
東京都美術館で開催中の藤田嗣治展に見付かった映画作品が上映されていた…。愛嬌あるお多福顔な子どもらが紙芝居に興じたり、チャンバラなやんちゃ振りを発揮する遊ぶ日常茶飯な一齣!藤田はピカソの様にスタイルが著しく変貌する画工だが同時にジャン・コクトー見たいな一芸として監督業も又、軽妙洒脱にこなしていた見たいだ。藤田自身が自画像を描いた様に,もしも本編を撮ったなら一体どんなだったんだろうか?
東京千駄木の森鴎外記念館に藤田嗣治関連の展示が在って父・藤田嗣章と鴎外との接点が解る。大卒後にフランス留学を薦めたのは鴎外だった。本編にもParisでモジリアニやピカソとの交流、詩人高村光太郎とカフェで出逢うシーン等が有った。戦争での中断は在るにせよ、進歩的な文化人との交際や仕事は戦前・戦後と一貫して続いていた見たいだ何だ
東京都美術館での藤田嗣治展に因んでのNHK日曜美術館では生前の藤田画伯の肉声が蘇った。ラジオ・ドラマ見たいに自己演出された穏やかな晩年の声…。番組では戦中の西洋歴史画に傾倒した戦争画を写真の様な戦争記録画と区別して紹介、アッツ島玉砕の悲惨な残酷絵と解説。本編に登場する戦意高揚の宣伝画は絵画構成されデフォルメされた傑作。本編でもそんな絵画の前で仁王立ちして絵の前で祈り立ち尽くす母らしき姿が在ったー。
お河童頭にロイド眼鏡にイヤリング…と当時の画家の出立ちは現代の青年にも通じ合うから藤田嗣治はオダギリ・ジョーの嵌まり役何だ🎵目黒区美術館で昨日、「本と文字を廻る藤田嗣治の仕事」展に行って来た。書物関連の装飾ではポール・クローデル等内外の進歩的な文化人との共同の仕事が目白押しー。其れは画家として敗戦後も続く。そうだとすれば本編に章立てで区切られた様な転調、価値観の転換は画家自身の中では無いのでは無いか、黙々と絵を描き続けた画工職人の姿が浮上して来るんだ!
そしてTVドラマ〈越路吹雪物語〉〈わろてんか〉等を視ていても舞台や演芸が戦時にどう関わったかという暗部が影を差す…。本編での前半部と後半部との断裂こそが小栗監督の今回のテーマだった。時代の流れと画家自身がどう折り合いを付けるかと云う葛藤が殆んど描かれずドラマ性の稀薄さが其処で問われた仕舞ったがー。映画は唯問題を提起した丈だから。過去の歴史の認識の窮めて現代的な主題を考えるのは観客そのもの、詰り自分達なのだから。
レビューにも在ったが、本編前半のParisの情念と後半の故郷の静謐がコントラストを為していた…。Parisのカフェで詩人の高村光太郎と一瞬出逢うシーンが有り、二人の戦後は高名な詩人は山奥で隠遁生活へ、エコールドパリの騎手はフランスへ亡命生活を余儀無くされた。共に戦争が引き裂いた〈狂った1頁〉の悲劇であったー。
前半の絢爛豪華なパリでの熱狂振りと後半の郷里での暗い絵と静寂。そしてラストシーンでのフランスの教会のフレスコ壁画の中に描かれた自画像。オダギリジョーが演じるのは、現代風の青年画家が、いつの日か戦中の軍神の偶像に転じ、敗戦後は故国を去って行くというただそれだけの物語。画集の絵を捲る様に絵自体は何も語らないし観客に委ねられる。だから謎は残る!黒澤明監督作品のオムニバスの映画(夢)見たいに謎なんだ!!こんな映画があっていいじゃないかーという気がしたー。
パリ、モンパルナスの部分は、本当に面白かった。エキセントリックな風貌に関わらず、女性にもてる主人公のカリスマ性も、パリの街ならさりげなく納得。一方、もっと内面に踏み込んだエピソードが必要な日本パートは、さらりと流れるだけで、物足りない。残念なことに、見る前に、藤田嗣治についての知識をつけないと、ほとんど楽しめない構成になっている。