敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生 作品情報
てきこそわがともせんぱんくらうすばるびーのみっつのじんせい
※本作はドキュメンタリーのためストーリーはありません。
「敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生」の解説
元ナチスで、アメリカ陸軍情報部のスパイ活動を経て南米に渡り、チェ・ゲバラ殺害にも関与していたクラウス・バルビーの人生を通して、戦後史の裏側を描くドキュメンタリー。監督は「ラストキング・オブ・スコットランド」のケヴィン・マクドナルド。トロント国際映画祭、サン・セバスチャン国際映画祭正式出品作品。1913年10月25日ドイツに生まれたクラウス・バルビーは、1987年にフランスで“人道に対する罪”で終身刑を宣告されるまでに“3つの人生”を生きた。1つ目は、“リヨンの虐殺者”と言われたゲシュタポとしての人生。彼は22歳でナチス親衛隊に入隊。そして1942年11月リヨンで、政治犯を取り締まる親衛隊保安部第4課、いわゆるゲシュタポの責任者となる。1943年6月21日、全国抵抗評議会の創設者であるジャン・ムーランを逮捕。1944年の晩夏、リヨンからドイツに逃亡し、家族と合流する。2つ目は、アメリカ陸軍情報部(CIC)のスパイ活動を行うエージェントとしての人生。1947年、バルビーはCICに入隊し、反共産運動専門の工作員としてアメリカの庇護を受ける。しかし1948年に、フランス警察から事情聴取を受ける。その後もフランスはCICへバルビーの身柄の受け渡しを要求する。そのため、CICはバルビーを南米に亡命させる。そのとき重要な役割を果たしたのは、バチカン右派でクロアチアの戦犯でもあるドラガノヴィッチ神父だった。1951年3月、バルビーと家族は、北イタリア・ジェノヴァからボリビアに向けて出発した。そしてボリビアに到着したバルビーは、“クラウス・アルトマン”と名乗り、3つ目の人生を生きる。彼は製材所を営みながら、ボリビアの有力者と密接な関係にある在ボリビア元ドイツ人将校たちと交流を持つ。そして武器の輸出入に手を染め、ゲリラ封じの方法を伝授して、軍事政権の誕生を陰で支えた。1967年、政府軍の襲撃を受け処刑されたチェ・ゲバラの暗殺計画も、彼によるものである。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 2008年7月26日 |
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キャスト | 監督:ケヴィン・マクドナルド |
配給 | バップ=ロングライド |
制作国 | フランス(2007) |
上映時間 | 90分 |
ユーザーレビュー
総合評価:5点★★★★★、1件の投稿があります。
P.N.「山河 進」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2020-09-21
非常によく調査追跡されたドキュメンタリー映画で、強烈な印象を受けました。ニュールンベルグの裁判は東京裁判に比べより公正で徹底したものと、ソ連制作の記録映画を観て信じていましたが違っていました。第二次大戦が終わるや反ナチ戦線での盟友ソ連を敵視する冷戦路線に転換した米国は、国内では反共マッカーシズムをやり、対中国戦を想定して朝鮮、台湾、ベトナムからの武力侵略を試みました。ドイツではホイジンガーら旧ナチ将校が返り咲き、国家基本法を成立させて、軍国主義の道を歩みました。その時期にバルビーらのファシストの生き残りはボリビアへ逃れ、悪事を働いていたのです。その背後にはかつての敵アメリカ帝国主義の保護と支援があった!