ヒトラーの贋札 作品情報
ひとらーのにせさつ
第二次世界大戦終結直後、モンテカルロの一流ホテル。札束が入ったスーツケースを持ったサリー(カール・マルコヴィクス)が入ってくる。1936年、ベルリン。サリーはパスポートなどを偽造する贋作師で、犯罪捜査局の捜査官ヘルツォーク(デーヴィト・シュトリーゾフ)に捕らえられる。サリーはマウトハウゼン強制収容所に送られるが、彼のスケッチが親衛隊隊長に気に入られ、ナチスお抱えの画家になる。ある日彼は、ザクセンハウゼン強制収容所に移送される。そこではヘルツォークが極秘任務、囚人に贋ポンド紙幣を大量生産させる「ベルンハルト作戦」を指揮していた。贋札工場は隔離され、厚待遇が用意されていた。そこでサリーは、ブルガー(アウグスト・ディール)やコーリャらと共に、完璧な贋ポンド紙幣を作り出す。ある日、アウシュヴィッツから送られてきた古紙から、仲間の子供たちのパスポートが見つかる。それは子供たちの死を意味していた。彼らは自分たちがナチスに協力し、同胞を苦しめているという現実に直面した。ブルガーは決起を促すが、サリーは相手にしなかった。彼らの次の任務は贋ドル紙幣の生産だった。それにはブルガーの技術が必要だったが、彼は協力しない。ヘルツォークは、4週間以内に成功しなければ見せしめに5人を銃殺すると宣告する。作業員たちはブルガーを密告するべきだとサリーに訴えるが、サリーは拒否する。そんな中、コーリャが結核に侵される。サリーは、国外逃亡を企てたヘルツォーク一家のパスポートを偽造し、薬を手に入れる。贋ドル紙幣は期限までに完成した。しかしコーリャは病気が親衛隊にばれ、感染防止のために銃殺される。数日後、作業は停止され、機材が運び出される。連合軍が迫ってきていたのだ。親衛隊が去った夜、ヘルツォークは、隠していた贋ドル紙幣を取りに戻る。それを見つけたサリーはヘルツォークから銃を奪い、撃つ。翌朝、囚人たちによって工場の扉が破られる。再びモンテカルロ。サリーはカジノでわざと負け続けるが……。
「ヒトラーの贋札」の解説
ナチス・ドイツによる贋札事件をユダヤ系技術者の視点から描いた社会派ドラマ。2007年ベルリン国際映画祭コンペ部門正式出品、ドイツ・アカデミー賞主要7部門ノミネート、第80回米アカデミー賞外国語映画賞オーストリア代表作品。監督は「アナトミー」のステファン・ルツォヴィッキー。出演は「エニグマ奪還」のカール・マルコヴィクス。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 2008年1月19日 |
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キャスト |
監督:ステファン・ルツォヴィツキー
原作:アドルフ・ブルガー 出演:カール・マルコヴィクス アウグスト・ディール デヴィッド・シュトリーゾフ マルティン・ブラムバッハ アウグスト・ツィルナー ファイト・シュテュプナー セバスチャン・アーツェンドウスキ アンドレアス・シュミット タイロ・プリュックナー レン・クトヤヴィスキ マリアン・カルース ノーマン・シュトフレーゲン ベルント・ラウカンプ ディルク・プリンツ ヒーレ・ベゼラー エリック・ヤン・リップマン ティム・ブレイフォーゲル ドロレス・チャップリン ローラント・フィッシャー・ブリアント ルイ・オースティン ミヒャエル・ラシナス ミヒャエル・ブローン マリー・ボイマー アーンツ・シュヴェリング・ゾーンレー ヤン・ポール リリー・クーグラー マティアス・ルーネ ハインツ・シュバート ロージ・シュトラーカ ホルガー・ショーバー スティーブ・シード ペーター・シュトラウス ベルンハート・リンケ ヴェルナー・ダーエン ラアンダー・モダーゾーン |
配給 | クロックワークス |
制作国 | ドイツ オーストリア(2007) |
上映時間 | 96分 |
公式サイト | http://www.nise-satsu.com/ |
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ユーザーレビュー
総合評価:4点★★★★☆、2件の投稿があります。
P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★☆☆
- 投稿日
- 2024-06-01
この映画「ヒトラーの贋札」は、ナチスが強制収容所のユダヤ人に大量の贋札を作らせて、英米の経済を撹乱しようとした「ベルンハルト作戦」に基づく物語だが、描き方は、フィルム・ノワール風のサスペンスになっている。
冒頭は、第二次世界大戦後、解放された、その収容所から生き残ったユダヤ人、サリーが、モンテカルロのカジノで、かつて自分が作ったらしい贋金の一部を蕩尽するシーンだ。
サリーが渋くイキな老遊び人風なので、最初から、この映画がフィクションであるかのような印象を与える。
サリーのような国際的な贋札職人や、印刷技師や、皆、贋札作りに役立つ人間をかき集めてきて、特別の待遇を与えて、組織的に贋札を作らせるナチだが、そのナチ親衛隊員の描き方は、これまでよく見せられて来た一面的なものになっていると思う。
命令し、言うことを聞かなければ、頭にピストルを向けて殺す。やたらと暴力をふるい、捕らわれた者たちは、怪我がたえない。食事は、一般のユダヤ人と比べれば、恵まれているとしても、相当ひどい。
食事に関しては、その通りだったとしても、ナチ親衛隊員というのは、皆このように判で押したような人間ばかりだったのだろうか? もうそろそろ、このようなステレオタイプのパターンには正直、飽きてきた。 贋札工場のユダヤ人の中には、ユダヤ系スロバキア人の共産党員のアドルフ・ブルガーのような人間もいる。 彼は、ナチへの反抗のためか、与えられた作業服を着ず、縞模様のナチの囚人服を着続ける。 また、ユダヤ系ロシア人で、カンディンスキーやバウハウスに共感しているらしいインテリ美術生のコーリャのような者もいる。しかし、映画の視点は、終始サリーに当てられていて、そうした異なる個性が、ドラマに活かされてはいない。 どのみち映画は映画なのだから、こうした贋札工場のユダヤ人たちが、ナチ親衛隊員にいっぱい食わせたというような作りでもよかったような気がする。 実際に、1950年代になって、オーストリアの湖から、この作戦の時に作られた贋札や道具が詰まった箱9個を見つけたという。 ならば、もっと解放的な話にした方がよかったのではないかという気がする。