P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-02
"不世出の夭折の大スター市川雷蔵の初めての現代劇出演作 「炎上」"
37歳という若さで亡くなった、不世出の夭折の大スター、市川雷蔵。
雷蔵はどんな役柄でもこなせて、現代劇でも時代劇にも喜劇にも悲劇にも、娯楽映画にも芸術映画にも、あらゆるジャンルの映画でそのカリスマ的な魅力を表現出来た、稀有の役者だったと思います。
特に、歌舞伎界の出身という事からくる彼の"口跡の素晴らしさ、立ち姿、立ち居振る舞い、所作の美しさ、華麗さ"は、他の追随を許さない程の見事さだったと思います。
もう彼のような華のあるカリスマ性のあるスターは、二度と現われないだろうと思える程です。
しかも、彼は23歳で映画界入りして以来、「眠狂四郎シリーズ」「忍びの者シリーズ」「陸軍中野学校シリーズ」「若親分シリーズ」などのシリーズものの当たり役を数多く生み出して、我々、日本映画ファンを楽しませてくれました。
その背景には、昭和30年~40年代の映画界の黄金時代の活況というものがあったとしても、こんなに多角的で質、量ともに優れたスターは珍しいと、今更ながら思います。
やっぱりスターというものは、"顔"なんですね。 いかにも歌舞伎出身らしい面長中高の顔だちで、瞼が薄い切れ長の目、長めの鉤鼻。 とりたててハッとする程の美男ではない。 端正だが、平凡で標準的な日本人顔なんです。 しかし、この"平凡で標準的"というのが貴重なのだと思うのです。 雷蔵は自分の"平凡で標準的"な日本人顔を、無個性のサッパリ顔を、まるで能面のように様々なニュアンスをもたせて、自由自在に操るのです。 この市川崑監督の映画「炎上」は、市川雷蔵が27歳の時の出演作で、もちろん三島由紀夫の小説「金閣寺」を映画化したもので、以前から三島由紀夫のファンだった雷蔵は、周囲の反対を押し切って、主人公・溝口吾市の役に挑戦したと言われています。 溝口吾市は、驟閣寺がこの世で最も美しいものだと考えていますが、老師(中村鴈治郎)の女色を初めとするこの寺の俗化に復讐を企てようとするのですが--------。 市川雷蔵初めての現代劇出演作で、流麗で美しいモノクロ映像が絶品の味わいがあります。
小説「金閣寺」は、ある吃音症の青年が「美への反感」から、国宝の金閣寺に放火したという実際の事件にヒントを得て書かれたもので、三島由紀夫独特の、「美」や「絶対的なるもの」に対して、美の使徒である青年が美に殉じる姿を計算され尽くし、確固とした構築された文体で華麗に描いていましたが、映画の方は、金閣寺は驟閣寺と名前を変えられ、原作の小説ほどには、溝口吾市の屈折した心理はあまり伝わっては来ません。 しかし、監督・市川崑、撮影・宮川一夫という黄金コンビによる画面作りには素晴らしいものがあり、雷蔵の顔のアップが正面に捉えられていて、彼の頭に昔のいまわしい記憶が甦る時、彼の顔はそのままで、背景がスーッと変わっていきます。 こういう映像技法に、あらためて映画という物の凄さを感じてワクワクしてしまいます。 原作の小説でもそうでしたが、私が一番強い印象を受けたのは、溝口の大学のクラスメートである戸苅という男の登場シーンです。 溝口はドモリですが、この戸苅という男は足が不自由で、ほとんど前衛舞踊みたいな歩き方をするのです。
この辺りの表現は、実に三島由紀夫的な高等心理作戦なのだと思うのです。 この映画では、戸苅の役をまだ若々しい仲代達矢が演じていて、ポーンと広い、人影のない校庭を仲代が黒いシルエットになって、思いきり体を歪ませて歩くのです。 この場面は妙にシュールで、痛ましい美しさがあって、この映画の中でも強く印象に残っています。