P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-07
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
修治(高倉健)は、少年期・青年期と大阪・ミナミで育ち、骨の髄まで極道がしみこんでいるヤクザだ。
"夜叉の修治"と呼ばれる所以は、その背中の刺青のため。
だが唯一の肉親である妹をシャブで亡くしてから、ヤクザ稼業に嫌気がさし、冬子(いしだあゆみ)との結婚を機に足を洗って漁師になった。
平穏に過ぎてきた15年。だが、ミナミからやってきた蛍子(田中裕子)とヤクザの矢島(ビートたけし)によって、その生活に波風が立ち始めるのだった------------。
「冬の華」以来、「駅 STATION」「居酒屋兆治」と続いてきた降旗康男監督、高倉健のコンビの人情ドラマの終着点とも言えるこの「夜叉」の魅力は、なんといっても撮影の素晴らしさにあると思う。
ささくれだった波頭が押し寄せる、厳寒の漁港・敦賀-----そのファースト・シーンがまず圧巻だし、グレーな色調で統一した漁村は、大阪・ミナミの原色に満ちたネオン・サインとは好対照で、そのうらぶれた感じには郷愁を誘われるものがある。
「海峡」で荒れ狂う海を迫力いっぱいに捉えた木村大作カメラマンは、この作品ではより深みの増した映像を作っていて、凪や波濤など、緩急に富んだ"海の表情"を巧みに表現していて、見事のひと言に尽きる。 そして、それはとりもなおさず高倉健扮する修治の心情にダブってくるのだ。 シャブでひと儲けを企む矢島、それを止めさせようとするミナミ出身の蛍子。 二人の喧嘩が暴力沙汰になり、止めに入った修治は刺青を仲間に知られてしまう。 これ以来、修治の心は千々に乱れ、そして、ついつい蛍子を抱いてしまうのだが、それは蛍子に惚れたというよりも彼女が極道の日々を過ごした街・ミナミの女であり、修治は蛍子を抱くことによってミナミを、ひいては自分の青春を取り戻そうとしているかのように見えてくるのだ。 だからこそ修治は大阪にいくのだと思う。 名目は矢島を救い出すためだが、本当はミナミへの郷愁、つまり、断ち切り難いヤクザ稼業への愛着心が、彼をミナミに向けさせるのだ。
こんなところは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ジャン・ギャバン主演の名作「望郷」にどことなく似ているような気がする。 それは多分、降旗康男監督が東大の仏文科出身であり、そのため日本の田舎の村が舞台の地味な風情にもかかわらず、映像がフランス映画的感覚であり、非常にお洒落で洗練されているのだと思う。 お洒落といえば、健さんが背広姿でカッコいいのはいつものことだが、この作品での漁師姿の決まっていること。 回想シーンでの日本刀を振り回すヤクザよりも、漁師姿の方が似合っているというのはなんとも皮肉だが、それだけ健さんにも貫禄が出て来たという事なのかも知れません。 そして、映画のラストは、家出した隣の息子の手紙で終わります。 「青春は素晴らしいと思いました」という独白に、まぶしそうに空を見上げる修治。 自己の映画人生の青春期を、東映ヤクザ映画の全盛期に過ごした高倉健のそれとが二重三重にダブって、胸に迫ってきます。
"寡黙な耐える男"を演じてきた俳優・高倉健にとって、この作品はモニュメンタルな、いわば終着駅のような意味すら感じさせるのです。