西鶴一代女 感想・レビュー 6件

さいかくいちだいおんな

総合評価5点、「西鶴一代女」を見た方の感想・レビュー情報です。投稿はこちらから受け付けております。

P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-02

優雅に、悲劇的に、ユーモラスに、そして全体に一本、男性本位の封建社会に対する痛烈な抗議の筋を通して、溝口健二監督は悠々とこの物語を描いている。 お春を演じた主演の田中絹代も”凛とした気迫”をたたえた好演で、芸達者の俳優たちが、入れ替わり立ち替わり現われて、厚味のある場面を作り出していると思う。 そして、隅々にまでよく神経の行き届いた美しいセット、流麗な白黒映像の粋とも言うべきカメラなど、あらゆる面での技術的な水準の高さが渾然一体となり、稀に見る”映画の美”を生み出していると思う。 この「西鶴一代女」は、日本映画史上において、ひとつの頂点を極めた作品だと思う。 そして、溝口健二監督の得意とした長回しが、最高に効果を発揮して、数々のヨーロッパ映画にも影響を与えたのだと思う。 尚、この作品は1952年度のヴェネチア国際映画祭で、国際賞を受賞しています。

P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2024-06-02

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

この映画「西鶴一代女」は、17世紀、江戸時代中期の井原西鶴の名作「好色一代女」を、名シナリオライターの依田義賢が脚色した、巨匠・溝口健二監督の代表作の一本だ。

もう老残に近い年齢で街娼をしているお春(田中絹代)という女が、荒れ寺の百羅漢を眺めているうちに、その仏像のひとつひとつが、かつて自分と関係のあった男の顔に見えてくる。

こうしてお春は、男性遍歴の一生を回想することに—-。

侍の娘で、京の御所に勤めていたお春は、公卿の若党(三船敏郎)と愛し合っているところを、役人に摘発され、不義者として両親ともども洛外追放の身となる。

若党は「お春さま、真実に生きなされ!」という遺言を残して打ち首になった。
その後、お春は、奥方に子供が生まれなくて困っている大名の側室に召しかかえられた。

殿様がお春に夢中になると、お春も存分に尽くした。あげく、殿様は房事過多で病気になり、彼女は生んだ子を残してお払い箱になってしまう。

次に、お春は島原の廓に身売りし、大金持ちの田舎者(柳永二郎)に身請けされようとしたが、この男はニセ金づくりで、その場で役人に逮捕されてしまう。

そして、お春は次には堅気の大商人(新藤英太郎)の家の女中となる。
ところが、この主人が好色でお春に目をつけ、奥方(沢村貞子)に嫉妬され、いじめられ、この家を飛び出してしまう—-。

やがて、お春は乞食にまでおちぶれ、街娼たちに誘われて街の辻に立つようになる。
そんな、ある日、母親が彼女を訪ねてくる。お春の生んだ子が大名になって、お呼び出しがあったのだという。

喜んで行ってみると、大名の生母が街娼にまで身を落とすとはけしからん、と永の蟄居を命ぜられたのだった。
お春は一目だけでも我が子に会わせてくれと言い、息子の姿を眺めながら身をくらましてしまったのだ。
そして、尼となって巡礼しているお春の姿でこの映画は幕を閉じる。

P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2021-07-16

さらにピエロ・パウロ・パゾリーニ監督のアンナ・マニヤーニ主演の映画〈マンマ・ローマ〉での撮影の名手トニーノ・デリ・コリの長廻しの夜の街頭シーンもまた,溝口健二監督の代表作の本篇撮影の平野好美の有名なショットを想い出させるんだ

P.N.「グスタフ」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2019-10-23

日本映画を代表する小津安二郎の名作「東京物語」に並ぶ溝口健二の代表作が、公開当時絶賛されなかったのが私には理解できない。晩年の名作群が映画発祥の地フランスで高く評価されてから、漸く後年日本でも正当に扱われるようになった。この「西鶴一代女」は、「祇園の姉妹」「雨月物語」「近松物語」と合わせて私的なベスト4と位置付けている。
ひとりの女性お春が体験する人生流転の逸話を歴史絵巻のように織り込んだ重厚な脚本が素晴らしい。様々な男たちに翻弄され、境遇に打ちのめされても生きるお春には、男と女の凝縮された形や姿が象徴的に描かれている。その男たちを羅漢堂に並ぶ仏像に比喩して懐かしむ女の凄さ。江戸松平家のお部屋様から夜鷹までを全身全霊で演じる田中絹代の名演。そして冷徹に突き放し描く溝口健二のリアリズム演出が、すべてをまとめ上げる。女性崇拝の普遍性に到達した溝口健二の力的傑作。

P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2018-06-11

映画「ヒッチコック/トリュフォー」にはサイレント映画期の映像に語らせる手法で惹き付けるシーンとして例えば女性の髪型への拘りの件が在った…。キム・ノバク演じた亡き妻への面影を美術館の肖像画の巻毛に重ねて描くヒッチコック監督。本編で田中絹代が廃寺御堂に並ぶ仏像の顔に好いた男の面影を見出だすシーンも映像の力で押して行く溝口健二監督の無声映画術だったと思う。トーキー以前の同時代の撮影経験が為せる技、此れは小津安二郎監督作品にもまま見られる様なモンタージュ手法だ。本編の深い奥行きの構図と田中演じる夜鷹が此方に向かって只管に前進して来る移動撮影シーンは鬼気迫るものが有った!トリュフォー監督作品「アデルの恋の物語」のワンシーンも恐らく本作を踏襲したもの何だろう🎥🎬🎞️

P.N.「pinewood」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2017-11-02

イサベル・アジャーニ主演のフランス映画〈ブロンデ姉妹〉を観ていたらアジャーニが注目されたフランソワ・トリュフォー監督〈アデルの恋の物語〉を是非又、見たく為った。一途なアデル・ユゴー嬢の姿は、恐らく本編の田中絹代の長回し、其の有名なラストシーンの記憶に基づくもの何だろう🎵迫真のリアリズムがヌーベルバーグの作家達に与えた影響は計り知れない。

最終更新日:2024-06-12 16:00:02

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