P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-06-06
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
私は、この作品に続く2作目の「青春の門 自立篇」は、好きな作品で何度も繰り返し観ていますが、この1作目の「青春の門 筑豊篇」は、かなり問題点が多く、あまり好きな作品ではありません。
原作者や監督の原体験が、重要な意味を持つ映画というものがあると思います。
この映画はその一つの例と言える作品で、五木寛之の初期の代表作「青春の門」は、大ベストセラーとなり、筑豊篇、自立篇、放浪篇、堕落篇------と、当時の若者の圧倒的な支持を得ていましたね。
五木寛之は、昭和7年の生まれで、生後間もなく朝鮮に渡り、各地を転々として、終戦を平壌で迎えており、ソ連軍が進駐してきた9月に母を失っています。
そして、10月に平壌を脱出、南下して米軍に収容され、昭和22年に博多に上陸して、郷里の福岡県の筑後に帰ったという、過酷な少年期を過ごしています。
かつて五木寛之は、「私にとって、自分の原体験ともいえるぎりぎりの生きかたは、敗戦と引き揚げ、そして帰国後の数年間に凝縮された時期にあった。精神の形成期に通過したそれらの日々が、現在の私を作り、歪め、支配しているように思う。」と語っています。
人には、特に戦中と終戦直後には、人には言えぬ人生の空白期があるのだと思います。 この原作の「青春の門」シリーズは、伊吹信介の身を借りて、五木寛之の原体験に裏打ちされた、暗い鬱積した少年の心が、福岡県の筑豊独特の川筋気質と炭鉱周辺の社会の連帯感の中に、伸び育っていく過程を、男っぽいロマンの香りを込めて描いた作品だと思います。 この川筋気質とは、筑豊を貫く遠賀川の川筋に伝わるヤマの男の気風で、「なんちかんち言いなんな。理屈じゃなかたい」とか「馬鹿も利口も命はひとつ」という、激しく果敢な気持ちには、暗い任侠とは違った、働く者達の明るさがあるように思います。 このような原作の哀歓が、この映画によって燃焼し切れていないのは、浦山桐郎監督が、あまりも自分の原体験にこだわりすぎたからではないだろうか。 原作では、継母のタエの死を信介の新しい人生への契機としているが、この映画では信介がタエに男女の愛を迫る事に置き換えています。
浦山桐郎監督は、「私を育てた義母をあるとき犯しかかったんです------そういう体験があるんです」と語っていて、彼のこうした異常な体験が、原作の持つ清新さを歪めてしまったし、性描写の過剰は、観客に媚びるものとなっていると思います。 場末の旅館で、幼馴染の織江と信介が結ばれる場面だけが、かろうじて浦山桐郎監督の実力を示しているが、みじめさを掘り起こす繊細さは、かえって原作の持つ筑豊の持つ息吹きを打ち消しているように思います。 彼は「あくまで映画は監督のものだ」と語っていますが、映画はあくまで観客のものであり、そしてこの映画の観客は、原作者である五木寛之のファンである事を忘れてはいけないだろう。 タエを演じた吉永小百合は、苦労の原体験のない甘さから言っても、完全なミスキャストであり、父・重蔵(仲代達矢)と父代わりの竜五郎(小林旭)も、本当の川筋気質を出しきれないで終わっていると思います。 また、ボタ山に象徴される石炭時代への挽歌を、ナレーター(小沢昭一)とニュース・フィルムを借りて綴っているのは、凝り過ぎて、かえって安っぽい感じを与えていると思います。