続 鎖の大陸 苦いパン 作品情報
ぞくくさりのたいりくにがいぱん
(生きながら老婆を捨てる山)香港は東洋の真珠とよばれているが、その素顔は、汚れて暗く悲惨である。水上生活者と、共産圏からの難民スラムは、犯罪と病気と飢えがうずまいている。なんとか生きようとする人間の智恵は、体力のおとろえた老人を、生きながら山中に捨てる風習を生み現在も、その習慣は生きている。(大トカゲをむさぼり喰う全裸族)少数の人口と豊富な資源で、オーストラリアは世界でも最高の生活水準を誇っている。が、それは、一部白人だけの話で、砂漠の奥地に生きる原往民たちは、白人たちが持ちこんだ病気と飢えに苦しんでいる。洞穴のような住居に住み全裸で生活する彼らは、不気味な大トカゲを常食としている。(文明社会の恥部)先進国といわれているヨーロッパやアメリカ合衆国にも、吹きだまりのようなスラムがある。ナポリの裏町には、一平方メートルの空間に百人の人間がひしめき、ニューヨークのバワリー街には七千人もの失業者、社会からハミ出した人々が、ほどこしのスープで飢えをしのいでいる。(売春と飢えの中南米どん底地帯)メキシコを玄関口とするラテン・アメリカ諸国は、少数の金持や役人をのぞいて、国民の大部分が極貧にあえいでいる。高層建築とスラム街、ぜいたくと飢餓が、深刻な矛盾をむき出しにしている。いたるところで、ひときれのパンのためにすら、売春が行なわれている。(死滅する古き部族たち)たった二万円の報酬のため、八ヵ月も死のジャングルで重労働をし、ゴムの原料となるチクレを採取するマヤ族の子孫たち。祖先の地を追われ、石で挽いたトウモロコシをたべ、穴居生活するアメリカ・インディアンたち。ジャガイモとコカの葉だけを食べ、ほどんとが結核におかされている、太陽の子インカの子孫たち。主食にしていた魚を、白人の会社がはじめた養殖の鱒に喰われ、クズ魚しか喰えなくなったインディオなど、文明は彼らを死滅に追いこんでいる。(どぶガニと人間の喰いあい)ブラジル北東部、ペルナンブコサのアフォガドスの町。この町は、ゴミ捨て場にたてられたスラムで、人間はマカオニという草の根と、ゴミと人間の排泄物に集まるカニをたべて生きている、カニを捕らえようとドブのなかを這いまわる人間の姿は、悲惨である。(アフリカのうめき)戦いのなかで独立をえたアフリカは、急速な文明化の時期にある。が、真の自由と解放の日は、まだまだ遠い。白人の人種差別政策は、いまもアフリカ人を抑圧している。金鉱やダイヤモンド鉱で働く黒人の鉱夫たちは、苛酷な労働でほとんど珪肺病にかかっており、しかも、鉄条網でかこった郊外の地区に住まわされている。まさに、現代のドレイ制である。(目を覆う感染症患者の群れ)四億五千万人の人間がひしめくインドは、凶作と飢饉によりすさまじい飢餓の様相を呈している。優性的な栄養失調からは感染症が発生、五百万人にも及ぶ患者が路上にあふれ、悲惨な姿をさらけ出している。(眼の前で、赤児が死んでゆく……!)一時間の間に、この地上で四百万の子供が餓えのため死んでいるという。カメラは、そのなかの一人の臨終にたちあう。赤児は飢えと病気のため、すでに医学に見放されている。腹はふくれ、頭には赤いハンテンが露出、眼はうつるに、呼吸は苦しい。やがて、赤児は死のケイレンをむかえる。
「続 鎖の大陸 苦いパン」の解説
「アメリカの夜」をはじめ多くの記録映画、劇映画を手がけているジュゼッペ・スコテーゼが監督した長編記録映画。撮影はジャンパオロ・サンティーニ、音楽は「狂った大陸」のコンビ、フランチェスコ・ラヴァニーノとアルマンド・トロバヨーリが担当。製作はアンジェロ・ファチェンナ、ジュゼッペ・スコテーゼ。
公開日・キャスト、その他基本情報
キャスト | 監督:ジュゼッペ・スコテーゼ |
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配給 | ヘラルド |
制作国 | イタリア(1967) |
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