白銀の戦場 スターリングラード大攻防戦 作品情報
はくぎんのせんじょうすたーりんぐらーどだいこうぼうせん
一九四二年、ドイツ軍はソ連本土の奥深くまで攻撃、ボルガ河畔の要衝スターリングラードを殆んど占領した。しかし、その間、スターリングラードの一角を死守しながら、ソ連軍はひそかに大軍を結集、スターリングラードを包囲していたパウリュス将軍の率いるドイツ軍三三万を、その外側から大きく逆包囲することに成功した。十二月、ドイツ軍は包囲下のパウリュス軍を救出するために、大量の戦車を投入、ソ連軍の包囲網を突破してパウリュス軍と合流しようとしていた。ベッソーノフ将軍(G・ジェノフ)の率いるソ連軍は、スターリングラード南西の小駅でしばしの休息を楽しんでいた。砲兵第一大隊第一中隊の中隊長ドロズドフスキー中尉(N・エリョーメンコ)、中隊の小隊長クズネツォフ中尉(B・トカリョフ)、歴戦のウハーノフ軍曹(Y・ナザーロフ)、そして紅一点の看護婦ターニャ(T・シデリニコワ)らがいた。激しい戦闘の中で、ドロズドフスキーとターニャの間にはあたたかい愛情が芽ばえていた。だがドイツ軍は戦力を三倍に増強、空軍の援護のもとソ連軍の五倍から六倍の戦車を投入、異常な決意をもってスターリングラードへ四五キロの地点に迫っていた。もしドイツ軍がムィシュコワ河を渡河すればあとはスターリングラードまでは平地が続くだけであり、ドイツ軍の包囲網突破、パウリュス軍との再合流の企図を許すことになる。その結果、ソ連軍は苦心の末に掴んだ戦局全体の転機を失うことになる。ベッソーノフ司令官の決断により、ムィシュコワ河に到着したソ連軍は塹壕を掘り、野砲を配置してドイツ軍の攻撃に備えた。敵の攻撃は空撃から始まった。そして前方には野を埋めつくさんばかりのドイツ戦車軍の大軍が見えた。ソ運軍砲兵隊は距離七〇〇メートルまで引きつけ、一斉に砲撃を開始した。だが、敵の砲火も熾烈をきわめ、北方ではドイツ軍が防禦線を突破、ソ連軍に危機が迫った。ドロズドフスキーやクズネツォフらはドイツ軍戦車に陣地を蹂躙され、ターニャは敵弾に倒れ敵中に孤立したまま夜を迎えた。ベッソーノフ司令官はドイツ軍将校の捕虜の口から、ドイツ軍が最後の予備戦車師団を投入、敵の息が切れてきたことを聞き、ソ連軍戦車の出撃を命じた。翌朝、ソ連軍のT34型戦車はドイツ軍を追い散らし撃破した。その残骸はムィシュコワ河畔の雪原を埋めた。ドイツ軍は総退却に入り、スターリングラードに包囲されたパウリュス軍救出の望みは断たれた。ベッソーノフ司令官は戦場の生ま生ましい状況を視察し、最後まで陣地を死守し、戦い抜いた英雄たちに勲章をつけてやった。しかし、ドロズドフスキーの胸には、失われた愛するターニャのことがいつまでも焼きついて離れなかった。このムィシュコワ河畔の戦闘のあと、一九四三年一月、ソ連軍は包囲下のパウリュス軍に総進撃を開始。二月、パウリュスはついに白旗を掲げ、世紀のスターリングラード大攻防戦はソ連軍の大勝のうちに幕を閉じた。そしてスターリングラード以後、戦局の主導権はドイツ軍の手から完全にソ連軍に移り、第二次世界大戦の帰趨も決せられることになる。
「白銀の戦場 スターリングラード大攻防戦」の解説
一九四二年から四三年始め約二〇〇日に渡って戦われた独ソのスターリングラード攻防戦を描く。この第二次世界大戦の運命を決定した大会戦におけるドイツ軍と同盟国軍の人的損害は八十万人に達し、ソ連軍の破壊または捕獲した戦車は二千台、砲一万門以上、自動車七万台、飛行機二千台にのぼったといわれている。監督は新人のガブリール・エギアザーロフ、スターリングラード攻防戦のハイライトの一つ、ムィシュコワ河の激戦を描いたユーリー・ボンダリョフの小説「熱い雪」をボンダレフ、エフゲニー・グリゴーリェフ、ガブリール・エギアザーロフが共同で脚本化、撮影はフョードル・ドブロヌラーボフ、音楽はアルフレード・シニートケが各々担当。出演はゲオルギー・ジェノフ、アナトリー・クズネツォフ、ニコライ・エリョーメンコ、ボリス・トカレフ、ユーリー・ナザーロフ、タマーラ・シデリニコワなど。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 1974年11月6日 |
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キャスト |
監督:ガブリール・エギアザーロフ
原作:ユーリー・ボンダリョフ 出演:ゲオルギー・ジェノフ アナトリー・クズネツォフ ニコライ・エリョーメンコ ボリス・トカレフ ユーリー・ナザーロフ タマーラ・シデリニコワ |
配給 | 東京第一フィルム |
制作国 | ソ連(1972) |
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