フェリーニのローマ 作品情報
ふぇりーにのろーま
〈第一部〉ローマ最古の道標が今でもローマへの道ばたに立っている。長い年月、風雨にさらされて。少年の頃、ものうい冬の日に教わったローマの歴史。シーザーが「サイは投げられた」と渡河して行ったルビコンの河原。劇場で感動したシーザーの舞台、カンピドリオの狼の像、教皇の放送に涙するオバ。「ローマの処女プリシラ」の活動写真に感動した記憶。やがてファシストの嵐が吹き荒れ、エチオピア侵略、町々に軍国調が幅をきかす。二十歳の青年フェリーニはローマの下宿に落着く。旺盛な食欲、開けっぴろげで野卑で生活を享楽するローマっ子の凄じい活力に眼を見張った。そして今日のローマ。土星の環のように首都を取りまく環状線。この道路を行く雑多な人と車、対峙するデモ隊と警官隊。雷雨の中で血を流す事故現場。それらの混乱ぶりとは無緑に照明弾で浮び上る遺跡の孤影。ローマ郊外のロケ地で学生たちはフェリーニに、この映画で何を描くのかと質問する。フェリーニは三〇年前に想いを馳せる。ジョビネリ劇場の寄席。場末の掛小屋に見る親近感がそこにある。空襲警報に妨げられ、防空壕で明かした一夜。それは教皇の都を空襲する筈がないというローマっ子を驚愕させた初の空襲だった。 〈第二部〉一八七一年以来ローマに地下鉄が必要だと説かれた。百年後の今日、今だ地下鉄は完成しない。ローマの地下は謎に満ちている。百メートルごとに遺跡にぶつかるのだ。この日考古学者立ち合いの堀削現場で大きな空洞に突き当った。穿岩器が怪獣のように壁に挑む。壁の向うに正に空洞があった。華麗な壁画に囲まれた地下大浴場だ。突如、異変がおこった。壁の穴から吹き込む現代の熱い空気によって壁画が消えていくのだ。考古字者は絶叫する。「何とかできないか!文化的損失だ」。現代の若者たち、絶望の青春。野良犬のように肩を寄せあう彼らにもはや「愛」は問題ではない。「セックス」だけだ。戦時中には一つの解決法があった。公設娼婦。ピンからキリまであるが、する事は同じ、システムも同じだった。古い宮殿に育ったカソリック貴族の老いた姫君が教皇を迎えて教会のファッション・ショーを開く。権威にふさわしい豪華絢爛たる衣装の数々。が姫君は孤独に涙を流す。「この町の情ないかわりよう。昔はよかった。人のこころもおだやかで、皆が友だちだった」。こうした世界と関係なくトラステベレのサンタ・マリアの泉の傍らに寄り集ったヒッピー族は警官隊に追い払われやがてローマの夜は遺跡の世界に戻る。何度も死に、何度も生き返る都。肉感的で貴族的で、古く、おどけて傷ついたローマ。突如、光と轟音が遺跡をゆり起こす。黒ジャンパーにヘルメットの五十人のオートバイ族が駈けめぐる。野蛮なSFの侵略の間、ノバナ広場、コロシアム、フォーラムは束の間息をふき返し、すぐまた、いつもの判読できない無関心に戻る。
「フェリーニのローマ」の解説
古代からの遺跡と現在とが共存しているローマ、何回も死に何回も甦ったローマ、陽気で野卑で食欲のかたまりのような民衆、彼らはローマを支配した数々の権力者、ネロ、シーザー、近くはムッソリーニのファシストの時代を生き抜いてきた。フェデリコ・フェリーニの内部のローマをドキュメンタリー・タッチで描く。スタッフは前作「サテリコン」と同じで、製作トゥリ・ヴァジーレ、監督フェデリコ・フェリーニ、原案・脚本はフェリーニとベルナルディーノ・ザッポーニ、撮影はジュゼッペ・ロトゥンノ、音楽はニーノ・ロータ、衣裳デザインはダニロ・ドナディ、編集はルッジェーロ・マストロヤンニが各々担当。出演はピーター・ゴンザレス、ブリッタ・バーンズ、ピア・デ・ドーゼス、フィオナ・フローレンス、マルネ・メイトランド、ジョヴァノリ・レナート、アンナ・マニャーニなど。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 1972年10月28日 |
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キャスト |
監督:フェデリコ・フェリーニ
出演:Peter Gonzales Britta Barnes Pia De Doses Fiona frorence マルネ・メイトランド Giovannoli Renato アンナ・マニャーニ |
配給 | ユナイト |
制作国 | イタリア(1972) |
上映時間 | 120分 |
ユーザーレビュー
総合評価:5点★★★★★、1件の投稿があります。
P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2023-11-10
交通ラッシュのハイウェイを、撮影隊のトラックが、撮影しながら走る。
雨が降ってくる。日が暮れる。
ロケ現場の現実の時間を、生々しく感じさせる素晴らしいシーンだ。
これが、すべてセットだという。
映像の魔術師フェデリコ・フェリーニ監督のめくるめくイメージの洪水に、思わず心地よく溺れてしまう、幻想と瞑想の宇宙。
映画のタイトルに、監督本人の名前を入れた、初めての偉大な私映画の作家、フェデリコ・フェリーニ。
この映画は、まさにフェリーニの都市論、文明論とも言えるだろう。