ヤコペッティの残酷大陸 作品情報
やこぺってぃのざんこくたいりく
奴隷制度を調査するイタリアの探訪記者として、私は数百年前の、アメリカの南部を訪門したと仮定しよう。いぶかしげに、私を迎えた白人の家庭で、ジョン・ランドルフは「貴族として自由は信じるが、平等を信じない」といった。トマス・ディウ教授は「神が白人である限り、我々は全種族に君臨する」と広言した。北部からきたばかりのストウ夫人だけは奴隷に同情して、「神の声に従って小説『アンクル・トムス・ケビン』を書く」といった。 アフリカから九十五日、黒人を満載した奴隷船がアメリカに向っている。時代が変わり、彼らは輸入禁止、つまり密輸品だ。監視船から隠れて、船倉にギュウギュウづめにされた彼らは“たれ流し”だ。臭いのは仕方がない。病人がでれば海に投げ込むから伝染はしない。男は鎖でしばり、シラミ退治に一日一回塩水をブッかけられる。下痢をした者には、尻にサトウキビで栓をする。彼らは、まとめて目方で取引きされる。一ポンド一ドル五十セントで商談が成立した。 上陸した彼らは貨車で奥地に運ばれる。赤旗はここでも奴隷のしるしだ。奴隷市場までの行進に楽隊が景気をつける。教会の鐘が鳴り、神父は「神よ、自由を与えよ」とくり返しながら、奴隷売買の仲介をする。男は三百ドル、女は二百ドル、子供は百ドル。教会で神父は説く。「如隷制度は神聖なものとして、神によって認められている。皆さんも奴隷制度を認め、道徳の仮面のもとに批判しないようにしてほしい」。公害病を否定する医者にも似たこの人の名は、バージニア州ストリングフェロウ神父。サム・カートライト教授は説明する。「彼らの動物的な匂いは、皮膚の汗線が白人の二倍もあるからだ。頭蓋骨は小さく、髪はちじれ、低い額、ひろがった鼻の孔、強い歯。すべての人間よりはるかに劣等な“類人”と同じだ」。檻の中で鎖につながれているのは脱走病である。自由を求めてではなく、ただただ脱走癖があるのだ。口に篭をかぶせられているのは、噛みつくからではなく、汚物嗜好症、つまり、ありとあらゆる汚物を食べてしまうからなのだ。手足のないのは、自分から傷つけて、労働から逃れようとしたのだ。ここにはインディアンもいる。だが教授にいわせると、黒人とインディアンは犬とコヨーテほど違う。犬は殴ってもけってもまつわりつくが、コヨーテは自由を奪うとテコでも動こうとしない。従ってインディアンは奴隷にはできない。 奴隷の繁殖をはかって、アフリカから輸入が禁止されても大儲けした商人がいる。教会の裏が“奴隷牧場”となり、ここで生まれた子供たちの死亡率は二十五パーセントという好成績。“種つけ”には商人自身やその弟、神父さんまで一役買って、中には金髪の子もいる。五人の選りすぐりの“ミセス・ブラック”は、出産から次の妊娠まで二ヵ月以下で分娩のたびに一人一ドルの報奨金が支払われる。 それから百数十年たった今日、アメリカの南部には高層ビルが建ち並び、ハイウェイが縦横に走っている。黒人は白人と同じ服を着て本を読む。その本のタイトルは「ナット・ターナーの告白」。ナット・ターナーは、一八三一年八月二十一日、同志五人とともに、主人のトレビス夫妻をメッタ打ちにし、次にリース一家を惨殺、さらにウィザース農園を襲って娘のマーガレットを殺した。彼女を愛していたから、彼女が白人であるから……。これを読みながら、眼の前の楽しげに遊ぶ白人たちを眺める現代黒人青年の脳裏に、ターナーと同じ残酷な衝動が閃めいたとしたら、それは誰の罪なのだろうか……。
「ヤコペッティの残酷大陸」の解説
「世界残酷物語」(62)「さらばアフリカ」(65)で残酷ブームを作ったグァアルティエロ・ヤコペッティが、約一世紀前まで、アメリカの近代社会に厳然と存在していた奴隷制度にメスを入れた作品。撮影は過去のヤコペッティ作品にほとんど参加しているクラウディオ・チリロ、アントニオ・クリマティ、ベニト・フラッタリの三人、音楽は「モア」で有名なリズ・オルトラーニが各々担当。主題歌はオルトラーニ夫人のカティナ・ラニエリが歌っている。日本版監修は清水俊二。テクニカラー、テクニスコープ。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 1972年4月15日 |
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キャスト | 監督:グァルティエロ・ヤコペッティ |
配給 | 東和 |
制作国 | イタリア(1971) |
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