イタリアにおける闘争 作品情報

いたりあにおけるとうそう

--第一部--誰だ? 何が起っているのだ? 私はマルクス主義者で革命運動に参加している女子大生です。〔闘争主義〕共産党がレーニンをテーマにして集会を開いたのがこれが初めてでないことは知ってるわ。でも時たま思いだしたみたいにやるだけじやないの(パオラ)。〔大学〕〔科学〕〔社会〕〔家庭〕革命を待ちながらお前は私と母さんを食いものにしている(パオラの父)。〔住居問題〕〔セックス〕〔身分証明書〕君がパオラ・タヴィアーニかね? M72464です。--第二部--第一部にあったのは現実の私でなく、現実の反映としての私だ(パオラ)。〔反映〕〔現実〕幻想としての全体、君の現実的な存在条件、この両者の関係は何を意味するか? そうだ、この映画の第一部は黒画面によって分断された〈反映〉によって進行した。どのような画のかわりに黒画面が入っていたのか? 君と黒画面との幻想としての関係、それはイデオロギーと呼ばれるのだ。〔反映〕〔黒画面〕〔現実〕〔実践〕〔理論〕君はセックスについて語るときセックスそのものだけを問題にしている。フロイドを理解もせず、批判もせず。ひと工夫して昼間寝てみたりする。だが昼間からセックスができるのは特権だ。工場労働者にはできぬことだし、できるとすればそれは夜勤労働者だからで、昼間の方がいいからというのと違う。ここイタリアにおいて、今日、君の具体的状況の具体的分析をすること。我々は一組の男女だ。つまり二つの対立物の結合だ。今、私があなたに答えられるようになったのは自分自身の状況を発見しつつあるから。社会的存在が人間の思想を決定するということを認識することは、私の社会的存在の矛盾を発見すること。〔変革〕〔実践〕〔理論〕〔生産〕〔革命的実践〕〔革命的理論〕〔イデオロギー〕〔イデオロギー闘争〕--第三部--第一部と同じ〈反映〉としての画なのか? 第二部の構成要素を素材にして、第一部と第二部で働いていたイデオロギーのメカニズムを再考すること。〔生産関係〕第一部では黒画面がありここに〔大学〕という声が入っていた。今、同じ声が科学の歴史の講義をしている。この声に私は造反する。生活の中に階級闘争をもちこむこと。〔闘争計画〕--第四部--今日のイタリアにおける私の闘争。私はイタリアのTVで、ドラマとドキュメンタリー番組の間で自分の話をしてよいことになった。民主主義の世の中だから、自分の話をする権利があると言われた。私の話に表われたものは、私のイデオロギーの現実であり、私のイデオロギーを生みだした現実、つまり私にとってのイタリアの現実なのだ。だがそれを変革する道は?……

「イタリアにおける闘争」の解説

主題--造反運動で闘ってきた女子大生が、自分が依然としてブルジョワ構造に組みこまれていることを理解し、矛盾を解決する方法を探し求める(ゴダールのメモより)。ジガ・ヴェルトフ集団制作、アヌーシュカ・フィルム--コスモセイオン共同製作。イーストマンカラー、16ミリ。

公開日・キャスト、その他基本情報

公開日 1970年11月7日
キャスト 監督ジガ・ヴェルトフ集団
配給 フランス映画社
制作国 フランス(1970)
上映時間 60分

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最終更新日:2022-07-26 11:03:59

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