カサノバ(1976) 作品情報
かさのば
18世紀中盤のヴェネチア。人々はカーニバルの喧噪の中で、水面に現われた巨大な女神モーナの頭像を驚異の目で見守る。仮装して人々の中に交っていたカサノバ(ドナルド・サザーランド)は、見知らぬ女から手紙を受け取った。それはマッダレーナ(マルガレート・クレメンティ)という尼僧からの呼び出しの手紙だった。指定のサン・バルトロ島に着いたカサノバを、マッダレーナはフランス大使の別荘ヘと案内した。彼女は実は大使の情婦で、“のぞき”趣味の大使のためにカサノバとのセックスの情景を披露しようとしたのだ。忠実な同行者である“黄金の鳥”を羽ばたかせ、期待に応えたカサノバは、大使の賞讃を得るのだった。嵐になった海を帰途に向っていたカサノバは、途中で宗教裁判所の審問官に逮捕され、邪悪な書物を保持しているという理由で鉛屋根の牢に留置されてしまう。そこで伯爵夫人ジゼルダ(ダニエラ・ガッティ)やお針娘のアンナマリア(クラリッサ・ロール)との甘い昔の思い出に耽るカサノバ。遂にその牢を脱出し、ヴェネチアからパリに向かったカサノバは、デュルフェ候爵夫人(シセリー・ブラウン)のサロンで、神秘的な降神術や魔術に興味を持つ人々と接触する。2年後、彼は運命の女アンリエット(ティナ・オーモン)とフォルリの宿で出会い、最高の時を過ごすが、それも束の間のことだった。ロンドンで、娼婦の母娘に屈辱を味わされ自殺まで考えたカサノバは、その瞬間に巨大な女の影を見る。彼女の暖かさで気を取り戻したカサノバはそのままローマを訪れた。そこでは御者と“性力”競争をする次第となるが、見事勝ち、さらに名を高めた。スイスのべルンを経て、ドレスデンで彼は母親と再会するが、彼女は愚痴を言うだけで彼から去って行くのだった。そして数年が過ぎ、冬のボヘミア。老いたカサノバはドゥックスのヴァルトシュタイン伯爵の城に、図書室の司書としてわびしく寄居する身になっていた。しかし、今も、彼は思っていた。愛し合った数々の女たちのことを、そして、美しい人形といつまでも踊る自分自身の夢のような姿を……。
「カサノバ(1976)」の解説
18世紀ヨーロッパの歴史上の人物であり、晩年の大著〈回想録〉でも知られるジャコモ・カサノバの絢燗たる女性遍歴と頽廃した宮廷生活を描く。製作はアルべルト・グリマルディ、監督は「オーケストラ・リハーサル」のフェデリコ・フェリーニ、脚本はフェリーニとべルナルディーノ・ザッポーニ、撮影はジュゼッぺ・ロトゥンノ、音楽はニーノ・ロータ、編集はルッジェーロ・マストロヤンニ、美術・衣裳はダニーロ・ドナティ、メークアッブはリーノ・カルボーニが各々担当。出演はドナルド・サザーランド、サンドラ・エレーン・アレン、マルガレート・クレメンティ、カルメン・スカルピッタ、シセリー・ブラウン、クラレッタ・アルグランティ、ハロルド・イノチェント、ダニエラ・ガッティ、クラリッサ・ロール、ティナ・オーモン、マリー・マルケなど。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 1980年12月13日 |
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キャスト |
監督:フェデリコ・フェリーニ
出演:ドナルド・サザーランド サンドラ・エレーン・アレン マルガレート・クレメンティ カルメン・スカルピッタ シセリー・ブラウン クラレッタ・アルグランティ ハロルド・イノチェント ダニエラ・ガッティ クラリッサ・ロール ティナ・オーモン マリー・マルケ |
配給 | フランス映画社 |
制作国 | イタリア(1976) |
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ユーザーレビュー
総合評価:5点★★★★★、3件の投稿があります。
P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-17
ドンファンは存在し得ぬ理想の恋人を求めて、次々に女を換え、カサノバは女たちの間をさすらいつつ、常に現在抱いている女を至上の恋人として愛する、と言う。
歌舞伎を思わせる凝りに凝った装飾の内に塗り込められたこの絵巻は、殊更に古めかしい「遍歴の物語」もしくは海の女神につながる巨鯨モーナの「胎内巡り譚」の装いで表現された、陽気な、優雅な、あるいは哀愁漂う、愛の諸相の集大成だ。
そして、この華麗な様式美の世界から、俳優の個性や演技をほとんど不要として、背景に溶け込ませてしまうフェデリコ・フェリーニ監督の映画では意外なほどに、鮮やかに浮かび上がって来るのが、カサノバという一人の男の、限りなく善良無垢な、愛に満ちた魂なのだ。
カサノバは山師であり、気障なお洒落屋であるが、一方、男尊女卑が一般であったこの時代に、ひたすら心を傾けて女を愛し、礼讃する、稀に見る本来の女人崇拝者だ。
しかし、それ故にこそ彼は、女たちのひととき憩う夢であり、永久に通り過ぎられる空白の四つ辻でしかない。
詩人として名を残すことを願いつつ、色事師としてのみ名高くなった彼の、その色事の多くは、女から求められたものであり、たまさか彼が求める女は、いつも傍らをすり抜けていった。 老残の果ての夢に、人形と踊る凄絶な彼の姿に、ある種の感慨を抱き、また加虐者としてのひそかな歓びと、同時にこのいじらしくも純粋な魂に対するたまらない愛しさを感じてしまう。 女を求め続けて、自らの虚無にしか到り得ぬ男は、女の側から常に秘められた願望であり、彼自身の哀しみに関わりなく、ここに一つの永遠の理想的な男性像が完成されているのだ。 フェリーニ監督本人にとってこの作品は、思い入れであるより、余りに手慣れた趣味の遊びであるようだが、イタリア古謡の哀切な節に包まれたカサノバの心にしみる優しさは、フェリーニ監督自身の風貌をも偲ばせて、女心を甘やかな懐かしさへと誘うのだ。