P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-05-21
クリフトは、その大きく澄んだ瞳を最大限に生かし、男というよりは、悲劇に耐える青年といった風情で、観る者の同情を集めるのだ。
クリフトは実生活において、46歳で悲劇的に人生を終えたのだが、30歳ちょっとの頃のこの作品でも、すでに悲劇の匂いが漂っている。
ヒッチコック作品への出演は、これ一本だが、彼の存在が大きい作品だと思う。
わたしはこくはくする
総合評価4.89点、「私は告白する」を見た方の感想・レビュー情報です。投稿はこちらから受け付けております。
クリフトは、その大きく澄んだ瞳を最大限に生かし、男というよりは、悲劇に耐える青年といった風情で、観る者の同情を集めるのだ。
クリフトは実生活において、46歳で悲劇的に人生を終えたのだが、30歳ちょっとの頃のこの作品でも、すでに悲劇の匂いが漂っている。
ヒッチコック作品への出演は、これ一本だが、彼の存在が大きい作品だと思う。
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
信者の告白を漏らす事は、神の教えに背く事になるのだ。
ルス夫人は、神父が犯人ではない事を証言するために、夫の目の前で、神父への思いを赤裸々に告白する。
神への信仰を貫こうとする神父と、家庭を崩壊させても神父への愛を貫こうとするルス夫人。
宗教と不倫という、二つの題目が対立するところが見もので、ヒッチコックの映画の中では、かなり深刻なテーマを持ったものになっている。
結局、神父は最後まで懺悔を口外しないのだが、追い詰められてなお、じっと耐えるだけという神父の苦悩を、クリフトが見事に演じてみせている。
この神父は、心の動揺を見破られないように、終始、表情を変えず、神の子としてのプライドを崩そうとしない。
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そして、その時、この「私は告白する」も、今迄とは違った分析や評価がなされるに違いない。
クリフト扮するローガン神父は、教会の懺悔室でオットー・ケラーという男から、殺人を犯しましたという懺悔を聞く。
ケラーは、神父の力添えで、夫婦で神父の館に住まわせてもらっている男で、20ドルの金欲しさに弁護士を殺したというのだ。
神父は、罪を告白するようにと諭すのだが、ケラーは逆に、自分の罪を神父になすりつけようとする。
殺された弁護士と神父はやっかいな関係にあり、それはかつての恋人で、人妻のルス夫人との密会の場を見られ、その事を脅迫されていたのだ。
ケラーは僧衣姿に変装して、弁護士を殺し、その姿のままで現場から出てくるところを女学生に見られている。
当時、神父が怪しまれるが、神父には動機があるうえに、アリバイもないのだ。
濡れ衣を晴らすにはただ一つ、ケラーの告白を明らかにするしかないのだ。
しかし、カトリックの神父は、懺悔室での告白を、どんな事があっても、口外してはならないという掟がある。
ヒッチコックの映画の中の男たちは、大体、美女のせいで、とんでもない事件に巻き込まれると相場が決まっているが、この映画では、それは逆で、美女は美男の主人公のために、家庭の秘密まで暴露せねばならないという目に遭うのだ。
主人公である美男のローガン牧師を演じるのは、当時、大変な人気スターであったモンゴメリー・クリフト。
「波止場」のマーロン・ブランド、「エデンの東」のジェームズ・ディーンは、クリフトが役を蹴ったおかげで、世に出て来た俳優なのだ。
そういった代役の顔ぶれを見ればわかるように、クリフトこそは、ハリウッド映画の戦後派スターの第一号と言ってもいい俳優だった。
正義と力とユーモアが総てのアメリカン・ヒーローの世界に、反抗とか、弱さとか、犠牲とか、忍耐とか、憂鬱とかいった、ナイーヴな感受性を持ち込んだ、最初の俳優だったと思う。
今でこそ忘れられた存在になってしまったが、後世のスター史においては、この俳優の存在の大きさを必ずや見直す事になるだろう。
スリラーの神様、ヒッチコックの映画というと、美しいブロンドの女優を窮地に追い込み、これでもか、これでもかと怖がらせるというパターンが多い。
この事から、ヒッチコックは、女性嫌いか、女性恐怖症なのではないかと、よく言われる。
「昼顔」というマゾヒスティックな映画を撮った、巨匠ルイス・ブニュエル監督も、ひょっとしたら、女性恐怖症ではと思うのだが、大芸術家には、こういうタイプが実に多い。
彼らはその作品の中で、日頃の思いを晴らすように、性的妄想をたっぷり込めて描き上げる。
こういう男たちは、たいがい日常生活では、女性の前では弱者なのだ。
実際、ヒッチコックは、彼の妻アルマがいなければ、成功したかどうかと、言われる程、彼本人は、気弱で社交ベタで何も出来ない男だったと言われている。
そんなヒッチコックの映画の中で、美女ではなく、美男をとことん窮地に追い込むという珍しい作品が、「私は告白する」なのだ。
またデイミトリ・テイオムキンの音楽.法廷シーンの丁々発止も見処か
NHKのPREMIUM cinemaで視聴した1953年のアルフレッド・ヒッチコック監督作品。冒頭の通行人役でヒッチコック本人が早々と登場して仕舞うユーモア。宗教と人間問題を見詰めた愛の相剋ドラマmystery。先の評者の如く群衆シーンが凄い一本哉
モンゴメリー・クリフトの誠実な個性が役柄にピッタリ嵌り、神父の他者には訴えることが出来ぬ懊悩に同情してしまう。ラスト裁判所から現れて、群衆の好奇の視線に晒されながら歩いていくシーンのクリフトの表情に、こころの動き、動揺を抑えようとする精神力が真に感じられた。犯罪者の懺悔でも一切公言できないキリスト教の規律を端緒にした物語ゆえ、自分の鑑賞では及ばないところもあるが、クリフトの名演で共感することができた。
サスペンス映画の醍醐味の点では、ヒッチコックの最良のレベルではないが、宗教と人間の関係を考える上で参考になる作品と思います。
本アン・バクスターの主演したヒッチコック・タッチなmystery映画がマイケル・アンダーソン監督の映画「生きていた男」だった…。ミルクの入ったコップを持ち歩くシーン等でヒッチコック監督作品の影響力が濃厚なサスペンス・ドラマ。ラストに本編を製作した粋なダグラス・フェアバンクスが登場して結末を決して明かさない様にと観客に促す辺りもヒッチコック劇場見たいで面白い!🥛