わが恋は終りぬ 作品情報

わがこいはおわりぬ

1834年、26歳のリスト(ダーク・ボガード)は有望なピアニストとしてアルプスのシャモニーにいた。が、うつうつとして楽しまなかった。演奏会の依頼が作曲家を志す彼にはわずらわしかった。敬信家の母アンナの希望である僧侶にならなかったことが彼の良心をとがめていたし、マリー・ドアゴールド伯爵夫人(ジュヌビェーヴ・パージュ)のことも心から離れないのだった。一度は激しく結ばれた2人だが、近頃、感情のもつれからミゾができていた。リストのマリーと別れたい気持ちは日ましにつのった。ショパンとサンドがリストのマネージャー、ポタンに連れられパリからやってきた。リストはポタンのすすめでパリに帰った。今売り出しのピアニスト、サルバーグに挑戦するためだ。パリでの演奏会は成功し、欧州中での演奏旅行も好評だった。マリーの圧迫感からも逃れることができた。リストはどの会にも姿を見せる女性に気づいた。史丹生のフェリックスに紹介された。ロシアの皇族カロライン・サインウィットゲンスタイン公爵夫人(キャプシーヌ)だった。カロラインは作曲家になることを彼にすすめた。リストは彼女こそ自分に必要な女性だと考えた。カロラインは政略結婚の夫といつか離婚するつもりだった。リストはロシア皇帝の妹ワイマール太公妃に認められた。その助力でカロラインは彼を太公妃の王宮演奏会の指揮者に指名させた。また太公妃はカロラインの離婚の助力を約束した。リストは作曲をそっちのけで、後輩のワグナーを楽壇に紹介するのに懸命だった。カロラインは作曲するように励ました。シャモニーのマリーはリストの心がカロラインにあると知ると、必ず別れる時が来ると警告してきた。――皇帝は離婚を認めなかった。ロシヤ大使が命令を伝えた。帰ってこねば、ロシヤから追放すると。彼女には愛がすべてだった。リストも作曲に専念し始めた。彼女は夫を説き、全財産を与える条件で離婚を約束させた。リストとの結婚式の前夜、ローマ法王から離婚婦許可の通知がきた。嘆く彼女にリストは一緒に他国へ逃げようとすすめた。が、法王の命に服さねばならぬ貴族の宿命が、彼女に恋をあきらめさせた。――リストは名曲をつぎつぎに発表した。その底にはだれも知らぬ悲しみがあったのだ。彼はシャモニーの僧院マドンナ・デル・ロザリオのオルガンの前にすわった。その調べが次第に彼をいやし、面上には平和な喜びが輝いた。

「わが恋は終りぬ」の解説

19世紀の作曲家フランツ・リストの悲恋を描いたメロ・ドラマ。オスカー・ミラードの脚本を、「白鳥(1956)」のチャールズ・ヴィダーが監督した(ヴィダーはウィーン・ロケ中死亡し、ジョージ・キューカー監督が後をついだ)。撮影は「老人と海」のジェームズ・ウォン・ホウ(パナビジョン・レンズで撮影された)。音楽監修モリス・W・ストロフ(演奏はロス・アンゼルス・フィル)。出演はリストに「私のお医者さま」のダーク・ボガードが扮するほか、新人キャプシーヌ、「反乱」のジュヌビェーヴ・パージュら。製作ウィリアム・ゲーツ。

公開日・キャスト、その他基本情報

配給 コロムビア映画
制作国 アメリカ(1960)

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最終更新日:2022-07-26 11:04:01

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