P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★★
- 投稿日
- 2024-06-08
※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]
ストーリー的な難点はまだあります。
グレゴリー・ペック扮するエドワードが、自分の正体がバレて、逃亡する時、イングリッド・バーグマン扮するコンスタンスに置き手紙を書きますが、「君に迷惑をかけたくない」と言っているわりには、ちゃんと自分の居場所を明記しているのは、ちょっとむしが良すぎるのではないかという気がします。
また、その置き手紙を病院の者が発見しても、気にせずバーグマンに渡すのも、何か間が抜けているように思います。
このような、いくつかのストーリー上の問題点があることで、この作品が現代の私を含む多くのヒッチコック映画の愛好者にとって、彼のフィルモグラフィーの中で、あまり重要な作品ではないのではないか?----------と。
だが、答えはNO! だと断言できます。
この作品は、ヒッチコック自身を語る上で、実に重要な作品の一つだからです。
この「白い恐怖」のキー・ワードは、「人間の罪の意識」だと思います。 実際、作品の中にも、精神科医エドワードの著書名、あるいは、バーグマンやペックのセリフの中などに「罪の意識」という言葉が、頻繁に出てきます。 このことから考えると、それはそのままヒッチコック自身の問題でもあったのではないか? 実際、彼は幼少の頃を振り返って、「幼い時から、悪いことをして罰せられることが一番の恐怖だった」と語っています。 厳しい戒律を重んじるイエズス会の学校で学んだヒッチコックは、そんな「罪に対する恐怖」を生涯持ち続けながら、"抑制と規律"の中に生きて来たのではないだろうか。 そして、それは多分、死ぬまで続いたのだろう。 だからこそ、このような映画を作って、自らを慰めたのだと思います。 このことを暗示するように、作品の中に次のようなバーグマンのセリフがあります。 「人はしたことのない事に罪の意識を、子供の時の空想を、現実と混同する事がよくあります----、それが大人になっても罪の意識として残る事があるのです----」と。
つまり、この作品は、そんなヒッチコック監督自身の内に秘めた「心の叫び」と「願望」が、色濃く出たものであり(以降、彼は後の作品でその傾向を露骨に表現するようになります)、自らサイコセラピーを楽しんだ作品なのだと思います。 バーグマンが、ペックに自分の恋心を素直に打ち明け、初めてキスをするシーンで、突然、幾重にも続いた扉が次々と開かれる映像へとオーバーラップします。 これは深読みをすると、ヒッチコック監督自身も、バーグマンが扮する女性のような、知的でクールなブロンド女性に、自分の心の扉を開いてもらいたかったのではないかと思えるのです。 スクリーンの向こう側で、安堵の表情を浮かべるヒッチコック監督の姿が見えてきそうです。 また、この作品に関して、あまりにも有名なのは、夢のシーンのイメージ・デザインをシュール・レアリスムの鬼才サルバドール・ダリが担当していることです。
これに関しては、ヒッチコック監督のたっての希望で、ダリが起用されたにもかかわらず、出来上がった作品が、余りにも極端で複雑過ぎたために、20分ほどあったシーンを、たったの1分20秒にまでカットしてしまったという逸話が残っていることです。