警官ギャング 作品情報
けいかんぎゃんぐ
酔っ払いや浮浪者がうろつくニューヨークの陰気な街路。1人の警官がぶらぶら歩いている。彼は1軒の酒屋に入ると、震え上がっている店員から静かに有金を巻き上げ、酔っ払いたちの朦朧とした視線を後にゆっくりと歩み去る--。こんな強盗行為はジョー(ジョセフ・ボローニャ)にとっては初めてのことだった。数日後、隣に住む親友で同僚でもあるトム(クリフ・ゴーマン)と勤務に向かっていたとき、ジョーは自分の行為を打ち明けた。驚いたことに、トムはそれを聞いて愉快がり、興奮した。日がたつにつれて、危険でケチくさい警官の仕事からの脱出を求める気持ちが容赦なく2人をかりたてていった。ある日、ポール(ディック・ワード)と勤務に当たっていたジョーは、ニューヨークのスラムで夫を刺し自分もけがをして血を流している女を逮捕して、制服を血で汚され、おまけにマンホールに落ちた男を助け出そうと苦闘しているときに、裕福そうな身なりの男から警察の無能について横柄な態度で文句をいわれた。一方トムは裸に近い格好で銃をふりまわす酔っ払い男を追いつめるべく奮闘する破目に陥っていた。大きな強盗をやろうという考えは、以前にもましてトムとジョーを捉え始めた。品物をさばくマフィアの幹部パッシィ・オニール(ジョン・ライアン)も見つかった。ある夜、トムはパッシィの豪邸を訪れ、目的物を有価証券に決めた。計画も煮つまり、トムとジョーはウォール・ストリートのある事務所を目標に定め、実行の日を宇宙飛行士のパレードの日と決めた。細かい事情まで調べつくした2人は当日、警官として建物に入り、重役のイーストポール(シェパード・ストラドウィック)の部屋に踏み込むと、秘書(エレン・ホリー)に命じて防犯テレビの機能をマヒさせ、まんまと1億ドル相当の証券を盗み出した。ウォール・ストリート街始まって以来の大胆な強盗だった。2人がこの日を選んだ理由はやがて明らかになる。彼らは大あわてで、貴重な、だが足のつきやすい証券を細かく破き、窓から投げ捨てて、パレードする飛行士たちに浴びせられるテープの中にまぎれ込ませてしまったのである。こうして2人は証拠隠滅という難しい問題を片づけたのだが、このことはもちろん、マフィアを裏切る危険なゲームへ2人を追いやるものだった。だが恐ろしくなった2人は、証券を現金を交換する場所を決めるパッシィに電話するのをぐずぐずと遅らせた。しかし、彼らは知らなかったがパッシィの方もちょっとしたトラブルがあって、2人に支払う現金が手許になかったのである。彼はマフィアの強力なボス、バンデル(ニーノ・ラッゲリー)を訪問し、200万ドルを少しの間、貸してくれるように頼んだ。パッシィもまた裏切りを計画していたのである。彼はその現金をトムとジョーに渡し、その直後に子分に取り戻させる予定だった。裏切りと裏切りが対決する舞台はセントラル・パークに決められた。トムとジョーの2人組と、彼らを信じて疑わないパッシィの子分の1人との間でピクニック・バスケットが交換された。1つは新聞紙に詰まったバスケット、もう1つは200万ドルの入ったバスケットである。一足先に逃げようとしたトムとジョーは、セントラル・パークのあらゆる出口にパッシィ一味の銃口が待ち構えていることに気がついた。無鉄砲な追跡レースは、1台の車が塀をぶち抜いて警察の駐車場に飛び込み、終わった。遂に2人は、マフィアを出し抜くという信じられない離れ技をやってのけたのである。数日後市の共同墓地でしめやかに葬儀が行なわれていた。牧師の悲痛な祈祷の声が流れる中で、今は亡きパッシィの棺の上に花束を投げる悲しげなバンデルの眼から、ひとしずくの涙が流れ落ちた。
「警官ギャング」の解説
職務を利用して1億ドルの現金強奪を計る警官が主人公のギャング映画。製作はエリオット・カストナー、監督はアラム・アヴァキアン、脚本はドナルド・E・ウェストレイク、撮影はデイヴィッド・L・クエイド、音楽はミシェル・ルグランが各々担当。出演はクリフ・ゴーマン、ジョセフ・ボローニャ、ディック・ワード、シェパード・ストラドウィック、エレン・ホリー、ジョン・ライアン、ニーノ・ラッゲリーなど。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 1974年6月15日 |
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配給 | ユナイト映画 |
制作国 | アメリカ(1973) |
ユーザーレビュー
総合評価:4点★★★★☆、1件の投稿があります。
P.N.「オーウェン」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2024-07-10
この映画「警官ギャング」は、まさか警官が制服のままで強盗はしないだろう、という通念を逆手にとって、警官が実はギャング、しかも詐欺師だったという仰天の物語だ。
ドナルド・E・ウェストレイクが映画用に書き下ろしたプロットがあまりに面白かったので、出版社が小説化を希望し、そして映画化の際にも、彼自身が脚本を担当したらしい。
自作の映像化とあって、ウェストレイクも相当気合が入っているらしく、細かいところまで、よくセリフが練られていると思う。
そして、製作者がミステリを愛好するエリオット・カストナーだけあって、クオリティの高いミステリ映画に仕上がっていると思う。
アラム・アヴァキアンの演出も、無理にコメディ・タッチにはせず、主人公たちの犯罪行為をシリアスに描くことで、逆にブラックな味わいを狙うなど、洗練された大人の暗黒映画といった趣になっていると思う。