宮本武蔵(1973) 作品情報
みやもとむさし
〈第一部・関ヶ原より一乗下り松〉作州宮本村の武蔵と又八は、出世を夢みて関ヶ原の戦いに参加したが、敗れて伊吹山中をさまよい歩くうち、お甲・朱実の母娘に救われた。又八はお甲に誘惑され夫婦になり、武蔵は帰国の途中関所破りをして役人に追われるはめになった。一方、又八の母・お杉は、息子が帰らないのは武蔵のせいだと、武蔵に恨みを抱いた。又八にはお通という許嫁がいたが、武蔵が沢庵和尚にいましめられ、千年杉に吊り下げられているのを見たお通は、武蔵を救い出し、共に逃げた。今では武蔵を慕う彼女は、武者修業を目論む武蔵に同行を懇願、武蔵も瞬間の激情にかられて、お通の体にいどむが、自らの行為を恥じ、逃げるように立ち去るのだった。それから三年--。京都の名門・吉岡道場の当主・清十郎は、お甲の営む料亭に入りびたり、朱実に執心していた。又八は、お甲に喰わせてもらい、半ばやけっぱちの生活を送っていた。ある日、武蔵を追い求めて京都に来たお通は、五条大橋の高札で、武蔵が清十郎から試合を申し込まれていることを知った。そして、その直後、お通は、又八、お杉と再会した。お通に未練たっぷりな又八に対してお杉は、武蔵を斬るように叱咤するのだった。数日後、清十郎に犯された朱実が半狂乱となり、入水自殺を計った。丁度その場に居合わせた又八が、朱実を救った。京都に嫌気のさした二人は、新生活を願って大阪へと旅立った。洛北蓮台寺野における武蔵・清十郎の試合は、武蔵が清十郎を一撃のもとに倒す一方的な勝負に終った。清十郎の弟・伝七郎も、蓮華王院・三十三間堂にて武蔵に挑んだが、敗れた。滅亡に瀕した吉岡家では、吉岡家の血につながる少年・源次郎を名目人に立てて、武蔵に試合を申し込んだ。一乗寺下り松には、吉岡一門七〇名が武蔵を待ちうけていた。単身乗り込んだ武蔵は、真っ先に、源次郎を殺した。凄惨な決闘中、武蔵は無意識のうちに二刀を使って、門弟を次々と倒し、勝利を得た……。〈第二部・柳生の里より巌流島〉宝蔵院流槍術、鎖鎌の宍戸梅軒を破って腕に磨きをかけた武蔵だったが、柳生に挑戦したところ、武蔵の剣は殺生剣として試合を否まれ、町の研屋にも、武蔵の刀は殺すだけの刀といわれ、自分の未熟さを知った。やがて、小倉藩細川家の家老長岡佐渡の世話になり小倉に滞在していた武蔵は、宿敵佐々木小次郎と会った。剣の道に迷った武蔵は、沢庵に会って悩みをぶちまけた。だが、沢庵は、剣の道に迷うくらいなら、小次郎に斬られるか、剣を捨てて故郷へ戻り、お通と一緒になれ、とつきはなすだけだった。その頃、宮本村に戻っていたお通は、同じく戻ってきたお杉に危うく絞め殺されそうになるが、昂奮したお杉が急死したおかげで危うく難を逃れる。一方、又八は大阪へ来てから悪事に手を出し、一度は朱実と別れ沢庵の元に身を寄せていたが、やがて、自分の子を抱えた朱実と再会してからは、我が身の旧悪に目覚めるのだった。慶長十七年四月十三日、武蔵と小次郎の試合が、長門の船島で決行されることになった。又八、朱実そしてお通もやって来た。妻と呼んでくれ、と泣くお通に「武士の出陣は笑って送ってくれい」と言い残した武蔵は船島へと向った。試合は一瞬のうちに決まった。小次郎の長刀・物干竿より長い、武蔵の手製のカイが小次郎の脳天を砕いたのだ……。
「宮本武蔵(1973)」の解説
吉川英治の同名小説の映画化。動乱の時代、野望に満ちた青年・武蔵の闘争のドラマを厳流島における佐々木小次郎との決闘まで描く。脚本は「花と竜 青雲篇 愛憎篇 怒濤篇」の野村芳太郎と山下清泉、監督も同作の加藤泰、撮影も同作の丸山恵司がそれぞれ担当。
公開日・キャスト、その他基本情報
公開日 | 1973年7月14日 |
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キャスト |
監督:加藤泰
原作:吉川英治 出演:高橋英樹 田宮二郎 松坂慶子 倍賞美津子 フランキー堺 任田順好 笠智衆 細川俊之 佐藤允 木村俊恵 穂積隆信 石山健二郎 田村正勝 明石潮 浜畑賢吉 加藤武 加藤嘉 河野秋武 汐路章 有島一郎 谷村昌彦 牧冬吉 戸浦六宏 大前均 諸角啓二郎 仁科明子 |
配給 | 松竹 |
制作国 | 日本(1973) |
上映時間 | 136分 |
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