P.N.「鎌倉の御隠居」さんからの投稿
- 評価
- ★★★★☆
- 投稿日
- 2025-11-13
原作は、新潮クレスト・ブックスのリストにに並ぶ一冊で、イギリス女性小説賞の冠がついた佳品。これをクロエ・ジャオが映画化すると知って、ずっと気になってならなかった作品である。今年のTIFFクロージングと告知されて以降、心待ちにしていた一本。シェイクスピアを大事にする者は、皆そうだろう。そう思う。
仕上がりは、ジョン・マッデンの往年の佳品『恋に落ちたシェイクスピア』とは、大きく異なるテイスト。当然である。『ノマド・ランド』で、フランシス・マクドーマンドの名演もあって一躍、世界を刮目させたクロエ・ジャオの監督、しかも脚本は、原作者マギー・オファーレルとの協働執筆。主演は、ジェシー・バックリーとポール・メスカルという共にアイルランド出身の若手大注目株。世界中を巻き込んだコロナ禍を経ての映画化ということも、作品に漂う悲しみの色合いをより深めている。加えて神秘性の豊潤さ。序盤の森の中での出産シーンが圧倒的である。その濃度は、ジェシー・バックリー扮する、アグネスがシェイクスピアの実家に嫁して後に双子を産む現況にかかる彼女の心情と周囲との思いとの間隔を説得力に満ちたものとして結実し、やがて迎えるシェイクスピア不在の意味深さを鮮明にする。傑作『ハムレット』の背景に、かかる深淵があったとは。観る者誰もが、そう納得することだろう。無論、フィクション要素巧みに彩色されているだろうが、これこそが16世紀の真実と得心させられる。初演舞台のリアル感が、実に見事で、シェイクスピアが妻アグネスとともに決して埋めようのない深い悲歎を、誰もに耳馴染んだ名科白に拠って昇華させていくラストシーンには胸深く突き動かされ言葉を失う。映像そのものの超絶かつスピリチュアルな手触りに陶然感を堪能しつつ、エンドロールを凝視し、優しく流れる歌声にも耳傾けされ、いつまでも続く余韻になかなか席を立てなかった。いささか気が早いかも知れないが本年度のオスカー最有力。傑作である。
