映画『BOLT』林海象監督 インタビュー

映画『BOLT』林海象監督 インタビュー
提供:シネマクエスト

『私立探偵 濱マイク』シリーズなどで知られる林海象監督、7年ぶりの最新作。2014年から17年にかけて撮影された「BOLT」「LIFE」「GOOD YEAR」の3つのエピソードで構成されている本作は、盟友ともいえる俳優・永瀬正敏を主人公に、震災によって人生を翻弄されるひとりの男の物語が展開する。「たくさんの支援をいただいて完成し、みなさんの力で公開できる」という林監督。原発内を再現した現代美術作家ヤノベケンジ氏の作品の中で撮影風景を観客に公開しながらの現場や、学生スタッフとの共同作業など、林監督ならではとも言える撮影方法についてお話をうかがった。

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本作は林監督の7年ぶりの新作ですが、原発内部を主題にしようとされたきっかけは?
■林海象監督:震災当時は関西にいたので遠いところの出来事に感じていたけれど、あまりの惨状に、クリエイターとして「何かしないといけない」という気持ちはありました。それから2年ほど経った頃だろうか、京都で偶然、小さな写真展を見たんです。展示してたのは作業員の方が撮った原発内部の写真。そこで聞いたのは、地震発生時に多くボルトが緩んでしまって、作業員がスパナを持って締めに行く。放射線量が高いから締める回数は1回と決められていて、すぐに戻ってこなきゃならない。だからボルトひとつを締めるために、のべ200人ほどの手がかかっていると。映画にするには大掛かりなセットが必要だから、すぐにはできないと思った……。

この映画には、学生がスタッフとして参加しています。

■林監督:2014年から山形県の東北芸術工科大学で、学生に教えながら映画を撮っている。それ以前、京都造形芸術大学の時から続けてきてる事なんですけど、学生を助手として使うのではなく、あくまでメインスタッフとして一緒に。美術班は美術班で、プロフェッショナルな一員としていろんなものを造る。試行錯誤しながらだから時間はかかるけど、これは学校だからできることだと思う。


最初に撮ったのは、第3話の「GOOD YEAR」だったとか。

■林監督:東北に来るとね、震災や津波、原発が近い存在で深い悲しみが伝わってくる。実際、身内が被災した学生もしたしね。だから「GOOD YEAR」の中に震災の話を入れてみた。主人公は原発で働いていて、仕事中に妻を津波で喪ったという設定として。山形の学校(東北芸術工科大学)のそばに古いタイヤ工場があったから、「そこ、(撮影に)かっこいいなあ」と思って、“GOOD YEAR”(タイヤメーカーのロゴ)の看板も使ってね。それで終わりのプロジェクトだったんだけど、それからしばらくして(主演の)永瀬くんが、「こういう短編映画を続けてみればどうですか」と言ってくれたのがきっかけで、第2話の「LIFE」を撮りました。そこに至っても「BOLT」はお金がかかるので、諦めていたんですけどね。

そこで現代美術家のヤノベケンジさんが登場するわけですね。

■林監督:ヤノベさんから「こんど高松市美術館で原発内部の大きなセットを造るから、そこで撮ったらどうですか」という提案があった。「防護服やら何もかも、ぜんぶ作品として作ります」と。だから映っているものはすべてヤノベさんの作品。高松市美術館はとても好意的で、観覧に来たお客さんもいる中で撮影させてくれました。逆に、お客さんも撮影が観られて楽しかったかな。ぼくや永瀬くんが、これからこんなシーンを撮りますって説明したりしてね(笑)。

原発内部の様子、防護服を着た作業員たちの姿はまるでSF映画のようです。

■林監督:防護服はそう……、SF映画の宇宙服のつもりで。ヤノベさんは防護服についてよくご存知。(防護服を)着ると、すぐに空気が足りなくなるのは本当で、ワンシーン撮るごとに脱がせながら撮影した。『インターステラ』や『2001年宇宙の旅』を参考に、ヘルメット内のライトの当て方はヤノベさんと研究して。顔を見せるために明るくしないといけないけど、ライトを当てすぎると(役者は)前が見えなくなるから、ギリギリの光量で。完全なインディーズ映画でありながら、すごく贅沢なショットを撮れてるな、と感じるのは嬉しかっです。みんなヤノベさんのおかげですね。

本作に限らず、林監督の作品からは並々ならぬ映画美術へのこだわりが感じられますね。

■林監督:映画に映るものは役者と美術だけで、ほかは何も映らない。映画は物語の可視化。言葉は補助的なもので、見えてるものがすべて。だから好きなんです。これまで作ってきた映画で、(俳優に)普通の服を着させたことはない。それが仮に日常であっても、こちらが決めた服を着せたいんです。だからぼくの映画は美術予算が高い。好きだから適当にやりたくないし、できれば他人の映画の美術をやりたいくらい(笑)。

そういえば、デビュー作『夢みるように眠りたい』から木村威夫というビッグネームと仕事されてます。

■林監督:木村威夫さんにずっと美術をやってもらって、いろいろ学ばせてもらいました。『夢みるように眠りたい』のあとで木村さんにお礼を言いに行ったとき、「本当は映画美術をやりたい」と言ったら、「何言ってるんだ。映画美術は待つ仕事。監督は仕掛ける仕事だ。監督として一本撮ったんだから、ダメ。仕掛ける仕事をしなさい」と怒られちゃった(笑)。木村さんは“仕掛け”てくる美術監督だから、学びながらおもしろさを知りました。

学生を教え、学生と映画作りをされていますが、彼らから刺激を受けますか?

■林監督:18歳から22歳の学生たちが皆、60分くらいの作品を撮る。それってすごいことだと思う。最初は間違っちゃうこと、分からないことが多いのは当たり前。でもやる前から教えるのは嫌で、まずは自由に作らせることが大切。やってみて、失敗してみて初めて彼らは理解する。
学生はカリキュラム的に教えていくと必ず伸びると思う。これからはすべてが映像主体になっていくし、映像が駆使できないものは生き残れない。映像を学んだ者は、生き延びていけると思う。撮って編集してSNSで世に出す。これができる子は生きていけると思うし、それを教えるのはとても意義のあることだと思っています。

【取材・文】川井英司

最終更新日
2020-12-09 11:00:47
提供
シネマクエスト(引用元

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