世界人権デー(12月10日)にアイヒマン拘束に命を懸けた検事総長人権への功績について考える。『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』トークイベント

世界人権デー(12月10日)にアイヒマン拘束に命を懸けた検事総長人権への功績について考える。『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』トークイベント
提供:シネマクエスト

日時:12月10日(土)

場所:東京ドイツ文化センター
登壇者:本田稔教授、斎藤貴男

映画『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(配給:クロックワークス/アルバトロス・フィルム)が、2017年1月7日(土)より、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国にて公開となる。

長らく封印されていたナチス・ドイツ最重要人物アドルフ・アイヒマン拘束に関する<極秘作戦>裏側の真実を濃密かつサスペンスフルなタッチで描ききり、ドイツ映画賞で作品賞、監督賞、脚本賞など最多6冠に輝いたほか、世界中の映画祭を席巻。ドイツやヨーロッパ公開時には多くの動員を記録し、先頃公開されたアメリカ国内でも、ロサンゼルス・タイムズ紙他、各紙がこぞって絶賛評を掲載するなどして話題となっているスリリングなサスペンス・ドラマですだ。

主人公のフリッツ・バウアーはユダヤ人ということもあり、若いときは迫害や強制収容所への収容、強制移住を余儀なくされてきた。しかし、戦後新たな民主主義の確立を後押しするため、ナチス支配の爪あとがまだ残るドイツに戻り、ヘッセン州の検事総長として、アイヒマン拘束に関わり、フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判の実現のため重要な貢献をした。人道とは彼にとって、より優れた検事でいるための原動力だった。常に時代に合った人道的な刑事法を実現するために努力し、民主主義と人権を確立することこそが、検事と裁判官である自分の義務であると捉え実行した、世界でも数少ない勇敢な検事。

その功績を称え、2014年にドイツでは法務省がフリッツ・バウアー賞を創設、人権及び法学における現代史で優れた博士論文対しに2年に1度授与されている。現法務大臣のハイコ・マースは創設の理由を「フリッツ・バウアーのように民主主義のために戦っていた法律の専門家は当時のドイツにおいては非常に少なく、周りにいる司法官からいくら邪魔されてもナチスの犯罪を裁判に持ち込みました。常に同時代に合った人道的な刑事法を実現するために努力していたのです。バウアーは検事と裁判官である自分の職業を民主主義と人権を確立させる義務として捉えました。法律の専門家にとって尊敬すべき存在です。この賞を創設した理由はそこにあります。」とコメントしている。

12月10日(土)世界人権デーに、東京ドイツ文化センターにて、フリッツ・バウアーの人権への功績を考えるトークイベント「フリッツ・バウアー : 人権のための戦い」が実施された。ローネン・シュタインケによって執筆された伝記『フリッツ・バウアー アイヒマンを追いつめた検事総長』(アルファベータブックス刊/1月発売)の翻訳者で、立命館大学の法律学者・本田稔教授とジャーナリストの斎藤貴男が登壇し、フリッツ・バウアーの成し遂げたこと、そして現代にも通じる人権問題について語った。


■本田稔教授コメント:
バウアーは、ユダヤ人の家庭に生まれ、優秀な成績を収め裁判官になり、ナチの時代に迫害され外国に亡命しなければならなかったけれども、戦後ドイツに戻りナチの追求に関わった人物です。なので、文字通りの典型的な戦闘的法律家だと思っていました。しかし、実際のフリッツ・バウアーはそんなに単純ではありませんでした。同性愛者で、収容所を出所するためにやむなく思想を変えると誓約書にサインをしたこともあります。コペンハーゲンでナチの手先に捉えられたこともあります。また奥さんと結婚したもののずっと別居生活を送っていたことや、ユダヤ人ではありますが、実はユダヤ教に熱心ではなく、戦後はユダヤ教徒であることを隠した人物であることが映画や本で明らかになります。それがバウアーの実像です。だからと言って法律家としての戦闘性は否定されるものではありません。彼は“等身大”の戦闘的法律家で、宗教や性の問題についてプライベートな悩みを抱えていた一人の普通のドイツ人であり、特別な人間ではないのです。そういう普通の人物が過去と戦っているのです。

過去の歴史と向き合う彼の姿に自分自身を重ね合わせるとき、バウアーは私達にとって“等身大の人間”となり、過去の歴史も“等身大の歴史”となるのです。ラース・クラウメ監督がバウアーに自分を重ねることでラース・クラウメはラース・“バウアー”になり、過去を見つめ始めます。ローネン・シュタインケもローネン・“バウアー”になり、また彼も過去を見つめ始めます。私もまた本田・“バウアー”となり日本の刑法史と向き合ってきました。歴史が等身大となったとき、その克服がひとりひとりの課題となるのです。等身大のバウアーができることなのだから、我々もできることはあるのではないか、今の状況に特に憂う必要はないのだと思います。

■斎藤貴男氏コメント:
ヒトラーが首相に就任した際、一国の法体制がすぐにでき、また同時に戦後それがすぐに崩壊されたとは思えません。問題はナチス時代前後にはらんでいると思われます。日本でも戦後70年目にドイツで作られたこの映画を語るにもっともふさわしい時期ではないでしょうか。映画を見るとわかりますが、バウアーも決してスーパーマンではなく、等身大の彼の姿が映画には描かれています。ということは、等身大の人間でもこれだけのことができるのだから、我々もただドイツをうらやんだり、自分たちを哀れんだりする必要はないと思います。

最終更新日
2016-12-13 11:00:21
提供
シネマクエスト(引用元

広告を非表示にするには