ロケ地やストにも言及!『6月0日 アイヒマンが処刑された日』ジェイク・パルトロウ監督オフィシャルインタビュー

ロケ地やストにも言及!『6月0日 アイヒマンが処刑された日』ジェイク・パルトロウ監督オフィシャルインタビュー

最重要ナチス戦犯のアドルフ・アイヒマン処刑までの最期の日々を、史実を基に描いたヒューマンドラマ『6月0日 アイヒマンが処刑された日』が 9 月 8 日(金)より TOHO シネマズ シャンテほか全国公開。
この度、本作で監督・脚本を務めたジェイク・パルトロウのオフィシャルインタビューを解禁。

■タイトルの由来をお聞かせください。
劇中に繰り返し登場するタブロイド紙があります。あの時代に実在した「シャルリー・エブド」紙、「プレイボーイ」誌、「ニューヨーク・ポスト」紙を掛け合わせたような、架空のタブロイド紙です。原題の『JUNE ZERO』は、アイヒマンの処刑を報じたタブロイド紙の日付に由来しています。アイヒマンの処刑日が注目すべき記念日になることを避けるために編集者が発行日を JUNE ZERO(6 月 0 日)としたものですが、それがかえって印象を強めることになっています。

■この作品を撮ろうと思った理由と、なぜこのタイミングを選んだのかについて教えてください。
私が第二次世界大戦とユダヤ人の歴史に深い関心を抱くようになったのは、父の影響です。第二次世界大戦とユダヤ人の歴史は、幼い頃から父とつながる「場所」であり、一緒に考え、議論を交わすテーマでもありました。イスラエル当局は、さまざまな法的・政治的な理由から、アイヒマンを絞首刑にした後に火葬する選択をしています。私は、火葬を行わない文化・宗教において、それが実行された事実に興味を覚えました。これがストーリー作りの発端です。情報はほとんど見つかりませんでしたが、リサーチを進めるうちに「アイヒマンの遺体を焼くための火葬炉が作られた工場で、少年時代に働いていた」という男性の証言に行き当たりました。『6 月 0 日 アイヒマンが処刑された日』は、国家としての在り方を模索中だったイスラエルへ移り住んだ少年の視点を通して、少年が新たな土地に適応し、自分のアイデンティティを見つけるために、さまざまな苦難や挑戦に向き合うところからストーリーが始まります。

■3 人の登場人物たちの物語を通して“アドルフ・アイヒマンの最期”を描こうと決めた理由は?
劇中では実際の裁判に一切触れていません。この映画は、アイヒマンの死刑判決のニュースが出たところから始まります。裁判そのものは、あらゆる媒体で何度も取り上げられているので、この部分について明らかにすべき新事実は何もないと考えました。

■アイヒマンを物理的に登場させるべきかどうかについての議論はありましたか?
アイヒマンの本質を正確に描写したり、何らかの方法で彼の本心を明らかにできたとしても、私たちは一貫して、アイヒマンの登場は避けるべきだと確信していました。本作では周辺人物の体験を通して物語を語っています。つまり、アイヒマンの人物像は見る人の想像や解釈に委ねるものであって、理解してもらうものではないのです。

■『6 月 0 日 アイヒマンが処刑された日』の着想のきっかけとなった映画や書籍はありますか?
私たちが執筆の過程で参考にした唯一の映画は、ジャック・ベッケル監督の『穴』です。互いにまったく異なる個性を持ちながらも、ある作業(脱獄のための穴掘り)を通じて登場人物たちの間に家族のような温かさと信頼が芽生えていく過程が、本作において登場人物たちを描く際の手引きになりました。炉の工場で男たちの世界に足を踏み入れていく少年を通して、この時代と状況に入り込んでいく心情をしっかり理解したいと思ったのです。また、劇中に登場するホロコーストを生き延びたミハの体験を記録映像や再現シーンで表現しないアプローチをとっています。これはクロード・ランズマン監督のドキュメンタリー、特に『SHOAH ショア』から多大なインスピレーションを得ています。ランズマン監督のスピリットは、本作の製作過程に非常に大きな影響を与えてくれたので、この映画は彼に捧げたいと思います。

■キャスティングのプロセス全般についてお聞かせください。
共同脚本のトム・ショヴァルは、この映画をヘブライ語で作るべきだと最初から確信していたのですが、私は確信が持てず、懸念を感じていました。しかし脚本が完成して初めて、トムの言う通りだったと分かりました。私たちが描いたストーリーを適切に表現できる唯一の方法だったと感じたのです。また当初から、この映画が実現するかどうかは、ダヴィッド役にふさわしい子役が見つかるかにかかっていると考えていました。キャスティングディレクターのヒラ・ユヴァルが見つけ出したのは、演技経験のない 11 歳のノアム・オヴァディアです。ノアムは際立っていました。アントワーヌ・ドワネルとか、ジャン・ピエール・レオが少年の頃に持っていたかのような自然な資質を持っていました。ノアムは英語が話せませんでしたが、ロテム・ケイナン(学校のシーンで教師役を担当)が率いる演技指導部のようなものを作り、リハーサルや撮影現場で最高の結果が出せる方法を編み出しました。

■イスラエルとウクライナでの撮影はいかがでしたか? 撮影地の選定の経緯は?
こうした映画にとって最大の課題は、あまり手を加えなくても使える当時の姿に近いロケ地を見つけることです。ストーリーの中で最も重要な炉の工場は、リション・レツィオンにある古い歴史を持つカーメル・ワイナリーの中に作りました。私たちが撮影を行った二つの主要なロケ地は、イスラエルの急速な発展に伴ってその後取り壊されています。私は世界中で撮影を行ってきましたが、どこへ行っても撮影の基本的なやり方はほとんど同じですから、映画製作とは優れたアンバサダーになるようなものですね。新しいルールに煩わされることなく、誰もが仕事をできるようなパラミリタリー的な仕組みがあるんです。そのおかげで、世界中のどこの撮影現場でも、まるで自分の家のように感じられます。私たちがキーウにいたのはごく短期間でしたが、実に素晴らしい体験でした。それだけに、今日のキーウの状況にはとても心を痛めています。

■撮影にスーパー16mm フィルムを採用した理由は?
フィルムでの撮影に今も強いこだわりがあるんです。若い頃は、どうすれば自分のイメージ通りに仕上がるのか、フィルムの露出や加工についてかなり試行錯誤しました。今では、フィルム撮影は私の仕事のやり方に欠かせないものだと感じています。また、エマルジョン(乳剤)自体に情緒のようなものがこもっていて、そこが非常に気に入っています。こうした時代劇映画でスーパー16mm のフィルムを使う大きなメリットは、リソースや時間の関係で未完成に見えたり、違和感のある視覚要素を自然にカバーできる点にあります。撮影では、スモークの演出や特定の小道具、特殊効果、メイクアップ技術など、すべてを調和させるために多くの注意を払わなければなりません。フィルム撮影だとネガをほとんどいじることなく、フィルムが異質なもの同士を「抱き寄せ」て一つにまとめてくれます。そうすることで、観客は目の前で展開している時代に没入することができるのです。

■今回のプロジェクトがこれまでの作品と違う点は?
私は、自分を私的な領域で仕事をする人間だと思っています。この映画は、これまで私が手がけた作品の中では、まったくもって私的な作品ではないように見えるかもしれませんが、私自身はどういうわけかとても私的なものに感じています。

■共同で脚本を手がけたトム・ショヴァルとの仕事はいかがでしたか?
トムのおかげで素晴らしい脚本が完成しました。彼は類まれな才能を持つ脚本家です。トムに会う前から、どんな物語にするかのイメージは頭の中にありました。しかし、リサーチのためにイスラエルを訪れ、ホロコーストを生き延びた人々にインタビューをしたとき、文化的・歴史的事情から私が深層にアクセスするのは困難だと分かったので、共同執筆者を探すことにしたんです。

■撮影監督についてはいかがですか?
ヤロン・シャーフの作品は知っていてファンでもあったので、彼が本作に興味を示してくれたときは、そのチャンスに飛びつきました。私はヘブライ語をあまり話せないので、自分では瞬時に判断できないような問題点を指摘してくれる信頼のおける人物に撮影監督を任せたいと思っていました。

■大人になったダヴィッドが出てくるラストシーンについて
彼の物語を描きたいと思っていました。実在のダヴィッド本人は、自分が関与したと話しているわけですよね。だから歴史がどうやって形作られて行くのか、誰がその歴史に関わっていて、どんな形の歴史を私たちが受け入れるのか、そういう、テーマ、概念と繋がっていたので見せたいと思いました。特に今はネットの時代で、ウィキペディアやインターネットを見ることがそれが歴史だというふうに、私たちは思ってしまったりもする。そういう側面も加わっているので、でもそれって誰が正式に歴史だと認めているのかという議論もありますよね。歴史とはそうやって作られるのか?というテーマに関わるのだと思います

■戦争が背景にある作品を作るとき、当事者ではない国の人間が作ることはとても気を遣うかと思いますが、本作で特に気を使った点はどこですか?
アメリカ映画に関して言えば、皆さんもご存知の通り、第二次大戦後、アメリカに映画人が移住し、映画を作り始めたという歴史があります。2つ目の波はヴェンダースが始めたと思いますし、フリッツラングや、ヨーロッパから来ている映画人たちがそういった映画を作っていることもあり伝統がありますよね。もちろん戦争をテーマにした作品を作るときには、デリケートに作らなければならない。でもルールに縛られるのではなく、直感的なもので良いと私は思っています。安全なドラマに収める必要はなく、ときに刺激的なものになることを恐れてはいません。でも映画を見て不快な気持ちになる観客がいるかもしれません。私にユダヤ人の血が流れているからといって、こういうテーマの作品を作る義務はありませんし、作る権利があるというふうにも思っていません。私が『6 月 0 日』でいちばん興味があったのは登場人物たちの物語です。映画ではどんなことでも掘り下げることができるのです。

■アメリカでのストについて
今の状況としては、スタジオ側が動かなきゃいけない状況にある。今見てると状況は芳しくないけれども、SAG(映画俳優組合)の求めている条件がとてもクリアな条件なわけなのです。契約というものはやっぱり生きていて、時間と共に成長して行くから、時折チェックしてバランスを取ってアップデートすべきものだと思っている。完全に支持はしていますし、要求していることは全く無謀なことではないと思っています。でもタイミングがよくありませんでした。今アメリカで「バーベンハイマー」で、映画館にたくさんお客さんが来ている。そんなタイミングで全部がストップしてしまったのが残念で、失職する人も出てきてしまうのが心配です。ユニオンではなく、ギルドなんですよね。何が素晴らしいかって、スピルバーグとかキャメロンといったすごくお金と力を持っている監督が、例えば工場主だとしますよね。そんな彼らがベルトコンベアで働いている工場の人たちが不当に扱われているからという理由で工場を一旦休止するような、そういうことを今、やっているわけです。そんなトップの監督なんて他にはいないし、珍しいことだと思うから、認めるべきだと思っています。100%ギルドの味方です。

■お姉さまでもあるクヴィネス・パルトロの本作への反応をお聞かせください
ポジティブなものでした。ただ彼女は、僕のことを大好きでいつも応援してくれ、励ましてくれるので、良いと言ってくれました

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『6月0日 アイヒマンが処刑された日』9月8日(金)TOHO シネマズ シャンテほか全国公開
配給:東京テアトル © THE OVEN FILM PRODUCTION LIMITED PARTERNSHIP

最終更新日
2023-09-06 17:00:00
提供
映画の時間編集部

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