憲法を武器として ~恵庭事件 50年目の真実~ 感想・レビュー 20件

けんぽうをぶきとしてえにわじけんごじゅうねんめのしんじつ

総合評価4.92点、「憲法を武器として ~恵庭事件 50年目の真実~」を見た方の感想・レビュー情報です。投稿はこちらから受け付けております。

P.N.「辻三雄先生有難う君」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2022-11-23

恵庭裁判。辻三雄裁判長は、私の仕事上の大手のお客様でした。奥様が窓口でした。
奥様の忘れられない一言が有ります。お父さんは、一部の弁護士に苦労させられ、不愉快な思いをしたと、言っていました。
裁判官、検察官、弁護士、3者が
それぞれの立場で、裁判を進めていくのだと思います。但、相手に対し、人格を否定する様な物言いは、弁護士である前に、人間として失格であると、思います。
たぶん、奥様はその事を、私に言いたかったのだと思うのです。
 後は、皆様で判断して下さい。相手の名誉を傷つける意図は、全くありません。
もちろん、この事は、私の私見です。
 最近のご時世をみると、民主主義の素晴らしさを、改めて、
実感させられます。
 寛容でおおらかだった昭和の時代と、懐かしむ人は、おおいです。私もその一人です。
必ずしも、そうではなかったのかと、考えさせられました。

P.N.「辻三雄先生有り難う君」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2022-08-10

辻三雄先生と初めて、お会いしてから、今年で40年経ちました。辻三雄先生が、恵庭判決を出した頃の世界情勢と、今の世界情勢は、格段に違った情勢です。今、恵庭裁判が始まったら、辻三雄先生は、どんな訴訟指揮をなされるでしょうか。時々、考えます。
辻三雄先生との出会いは、自分史の、大きな矜持です。
過ぎさって、すでに、ない過去が、今の自分の胸の中に生き返ること、それが歴史、自分史ですね。辻三雄先生、本当にありがとうございました。

P.N.「辻三雄先生有難う君」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2022-02-09

恵庭裁判。自衛隊は違憲かが争われた裁判。時代は、あれから、50年余り経ち、まさに、今昔の感がある。
只、忘れてはならないのは、最高法規である憲法の精神だけを遵守し判決をだした裁判官が、存在した事である。
いまだに、最高裁においては、憲法とは、時の行政府の為の法律である。
愚者は、経験に学び、賢者は、歴史に学ぶ。梵天丸も、かく、ありたい。
世の裁判官よ、肝にめいじて下さい。

P.N.「年の瀬に思い出される事」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2021-12-30

恵庭裁判。辻三雄裁判長の出した判決は、肩透かし判決と、言われた。だが、実際のところは、自衛隊は、違憲判決で、出来上がっていた。憲法判断は回避と言う判決文を、国家権力からの、指示に従わざるえなかった。
戦争体験、兵役体験者の、政治家を含めた著名人の多くは、反戦論者だ。辻三雄裁判長も、その一人であった。長沼ナイキ訴訟の、福島重雄裁判官も同様だ、政治家では、後藤田正晴氏も、そうであった。世界情勢が、どう変わろうが、この様な著名人が生きている間は、日本は戦争に巻き込まれる事はない。しかし、悲しいかな、その様な時代も、終焉を迎える様な気がしてならない。
蛇足ではあるが、辻三雄裁判長は、かろうじて、憲法判断回避で、裁判官としての矜持を、かろうじて、保つ事が、出来たのではないだろうか。

P.N.「辻三雄先生有り難う君」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2021-10-13

法治国家の裁判官として、双方の主張を聞き、裁判所としての判決文を起草した。しかし、国家権力から、全面否定され、判決文の差し換えを命じられた。
長沼ナイキ訴訟に関連して異動してきた、札幌地裁所長によって、左遷させられる。納得出来なかったであろう。悔しかったであろう。家が貧しかったから、歯をくいしばって、勉強し、裁判官になった辻三雄先生。奥様は、その事を誇りにしていました。
辻三雄先生が、文化勲章を受賞した時、号泣したであろうことは、想像に難くない。

P.N.「辻三雄先生有り難う君」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2021-08-18

辻三雄先生のご自宅は、札幌市山鼻地区といわれる、北海道開拓民屯田兵が昔、住んでいたところでした。当時は、閑寂な住宅街でした。非常に質素で、純和風の御自宅でした。格子戸を開けると玄関があり日本的たたずまいでした。経団連会長、土光敏夫さんのご自宅に、なんとなく似てました。いつも、和服姿でした。
辻三雄先生は、大正生まれの昔気質ですが、心の暖かい人でした。恵庭裁判の裁判長として、
国の根幹である防衛、自衛隊問題の司法判断をしなければならない難問に、心身を燃焼しつくした。本人にしかわからない、大きなご苦労であったと思います。保身に走らず、良識ある裁判長として、司法判断をした。尊敬すべき事です。只、結果として、最高裁判所の指示に従わざるえなかった、断腸の思いだったと思います。憲法を武器として、色々考えさせられる映画でした。

P.N.「辻三雄先生有り難う君」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2021-08-04

辻三雄先生は、非常に聡明であると同時に、どんな人の話でも、真剣に聞き、的確に応対する、先天的な人格者でいらっしゃいました。裁判長時代、北海道の、小樽商科大学で、恵庭裁判の模擬裁判を、学生がやるのを見に行ったり、今の裁判官では、到底できない事を、辻三雄裁判長は、やられました。
現在の、エリート裁判官と言われる人の中には、提出された訴訟記録なんか、全部読んでいる裁判官なんていないと、ふんぞり返っている裁判官もいるそうな。何をか、言わんや。事件と、真剣に対峙する辻三雄裁判長が、映画に映しだされていました。本当に感動しました。

P.N.「ホームにて」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2021-07-01

光陰矢の如し。時代は列車の様に、たゆまなく、走る。恵庭判決の時代の頃の、車窓から見える風景と、今、車窓から見える風景は、全く違う。憲法を武器にして、列車から見える風景の違いを、考慮する事も、肝要かと思う。平和であるためには、何をしなければならないか、多面的に考えることも、必要です。

P.N.「ドラえもん」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2021-06-13

酪農家2人の、辛さを思う時、人生の無常を感じる。今なら、政府も、当時の様な事を決して出来ないであろう。昭和と言う時代、おおらかで寛容な時代でもあった。懐かしむ人たちも、多い。ただ、こうした現実もあった事を、しっかり、記憶しておかねばならない。

P.N.「辻先生ありがとう君」さんからの投稿

評価
なし
投稿日
2021-04-13

証券会社勤務時代、辻先生は最大手のお客様でした。当時、辻先生は、退官し公証人をなされていました。まだ、社会人なりたての私を、非常にかわいがってくれました。先生の奥様は、非常に情に熱く、今持って感謝の気持ちで、一杯です。先生は一度だけ、私を書斎に通してくれた事があります。私は緊張して、何も話せなかった様に記憶しています。先生も、黙って庭を見ていました。今思うと、恵庭判決についての感想を聞きたかったのかな、と、思います。奥様は、私に、お父さんは恵庭裁判で非常に苦労したと、言っていました。と、何度も聞かされました。辻三雄裁判長なければわからない苦悩があったのだと思います。
夜、迷惑を省みず訪問すると、奥様が、いやな顔ひとつせず応対してくれました。一度こんな事がありました。夜、訪問すると、奥様は突然、涙を流し、大変ですねと。昭和57年のごろの話です。
裁判官でも、刑事部の裁判官は、非常に家庭を大切にする人が、多いと聞きます。それは、人間交差点と対峙する職業だからだと思います。
令和になり、昭和、平成は、歴史になりました。恵庭裁判、忘れてはならない裁判だと思います。

P.N.「辻三雄先生ありがとう君」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2019-03-29

恵庭裁判。辻先生は、奥様に、その時の心情を、告白されています。私が、奥様に、聞いた話です。弁護団の執拗さには、かなりの違和感を、感じていた様です。特定の団体、個人の名誉を侵害する事になるので、精細を述べる事は、避けますが。只、辻先生は、良心ある裁判官として、悩んだ末、保身に走らず、正義を貫き通したと思います。ただ、平塚さんの、告白からも、推測される様に、無念さも、残ったのでは。

P.N.「真駒内アイスアリーナさん」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2018-11-09

※このクチコミはネタバレを含みます。 [クリックで本文表示]

憲法は、国の最高法規である。映画の中で、自衛隊を被告として、自衛隊法は、憲法違反であると云う論理で、弁護側は、訴訟を進めていく。ただ、首をかしげざるを、得ない。そもそも、訴訟の論点は、国民の生活権を、自衛隊が、侵すことが、認められるのか。それと、野崎兄弟のおかした行為は、犯罪として、罰せられるべきなのか。の、2点であると思う。原則論を言わせて貰えば、国民によって
選ばれた国会議員によって制定された法律である。デュープロセスを踏んでいる。なんら、違法な事ではないと思う。辻三雄裁判長が、述べた様に、この事件は、違憲立法審査権には、馴染まないと、するのが正論である。只、弁護側が主張している自衛隊は、違憲であると云う主張には、反対だ。統治行為論の
論理の方が、自分には、しっくりする。基本的には、日本が、軍事力を、保有する事には反対だ。統治行為論を取ったら、国民の生命と財産は、果たして、守れないか?この映画を観て、強く感じた事だ。

P.N.「辻三雄先生ありがとう君」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2018-10-19

辻三雄先生は公証人役場に、毎日、札幌市電で通勤していました。最寄りの駅から自宅まで、たぶん20分程。雪の降る日も暑い日も。歩いて通勤していました。恵庭裁判について、追憶しながらの日もあったのでは?
先生は、訴訟指揮を、検証しても、わかる様に、どちら側にも
偏る事無く、徹底的に、双方の意見を聞き、裁判を指揮しました。政治色を薄める意味合いからも、苦悩の末、あの恵庭判決になったと思う。家が、貧しかったので、一生懸命勉強して
裁判官になった先生。だからこそ、弱い人達の気持ちは、人一倍わかっていたはずです。辻三雄先生は、私に対しても、常に、暖かい気持ちで、接してくれた。私に言わせれば、歴史に残る素晴らしい判決です。昭和の大岡裁きです。

P.N.「六法全書君」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2018-10-04

この映画が、憲法論議に、一石投じてくれる事を、願います。
ただ、世界は、グローバル時代。前途多難であるとおもいますが、世界の平和を、願って、邁進しなければならないと、思いました。

P.N.「大岡裁きの辻三雄裁判長様」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2018-10-04

民主主義国家の長所は、民主主義と言論の自由があることです。恵庭裁判においても、被告人側も、原告側も、お互いの主張を戦わせ、それにたいする結果は、両者痛み分けでした。結果に対する評価は、色いろ有りますが、大切なのは、自由に言いたい事が、言える時代を、未来永劫持続させていく事です。完璧なものなど、世の中にあるはずは、ないのです。相対的に、ベストなものを、選択するしかないのです。辻三雄裁判長は、肩すかし裁判と、揶揄されたが、大岡裁きだったのでは、ないだろうか。歴史が、判断するだろうが。

P.N.「銀河鉄道の夜」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2018-10-01

雪国北海道。しんしんと、降る雪。暖かい心の、道産子の人達。降る雪や、昭和は、遠くなりにけり。太平洋戦争敗戦と云うトラウマが、色濃く残っていた時代。恵庭裁判は、行われた。私達は、そんな時代に、思いを馳せ、この映画の中に、自分を置き、あの時代も、辻三雄裁判長も、遠い記憶の中に置かれてしまわぬ様、いつまでも、恵庭裁判を、忘れてはならないと、実感しました。

P.N.「サザエさん」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2018-09-28

平和は、大切。憲法9条は、遵守しなければならない。この映画は、その事を、訴えていると、思う。であるけれど、次の点を、考える。合成の誤謬には、気をつける必要がある。平和が、大切。自衛隊は、いらない。主張してる事は、正しい。その結果として、他国が、攻めてきた時は、どうするの?現実的に思考する必要もあるのでは?考えさせられる映画でした。

P.N.「北海道太郎」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2018-09-24

辻三雄裁判長の、苦悩が、心に響いた。法律家以前に、人間として、彼の生きざまからくる、彼の、信念を、表現出来ない悔しさは、いかほどで、あったろうか。

P.N.「辻三雄先生ありがとう君2回め」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2018-09-22

先生は、文化勲章を授与されています。先生は、私の勤務先に来店してくれて、教えて頂きました。初回取引は、映画に出演されている平塚様のお子様名義で、やっていただきました。5年間、辻先生夫妻に御世話になったことを、思い出すと、涙が、溢れでます。先生は、滋賀県出身で。太平洋戦争にも、出兵されています。家が、貧しかったから、一生懸命勉強して裁判官になったと、奥様に、いっていたそうです。先生は、素晴らしい人です。

P.N.「辻三雄先生ありがとう君」さんからの投稿

評価
★★★★★
投稿日
2018-09-22

社会人としての第一歩を、札幌で踏みました。昭和57年4月です。金融機関勤務でした。辻三雄先生は、最大手のお客様でした。当時、退官されて、公証人を、なされていました。5年間お世話になりました。一度だけ、先生の書斎に通された事があります。裁判官時代の話は、決してしませんでした。只、奥さまの一言が、印象に残っています。お父さんは、恵庭裁判で、苦労したと、私に言っていました。先生、奥さま、お取引頂きありがとうございました。

最終更新日:2022-02-14 16:00:05

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