ピアニストを撃て 作品情報

ぴあにすとをうて

人生に諦めを抱いているシャルリー(シャルル・アズナヴール)はパリのカフェ「マミイ」でピアノ弾きをしながら幼い弟フィードを養っている。彼にはあと二人身持の悪い弟がいた。或る冬の夜、その弟シコ(アルベール・レミ)が助けを求めて来たことから、またしても不幸は襲った。ギャングをまいて逃げてきたシコにかかわりあうのが腹立たしかったシャルリーも、店に現れたギャングを見てやむを得ず協力した。支配人プリーヌは大いに興味を抱いた。店の給仕女レナ(マリー・デュボア)はそんなシャルリーに思いを寄せ、彼の心の扉を開かせたいと願っていた。ある日、壁の古いピアノ・リサイタルのポスターを見た彼は、レナに過去を語り始めた。彼は本名をエドゥアル・サロヤンといい、国際的に有名なアルメニア出身のピアニストだった。彼はピアノ教師、妻のテレーザ(ニコール・ベルジェ)はレストランで給仕をしていた。彼女が店で知合った興行主ラルス・シュメールによって彼は認められその才能ゆえに瞬く間に名声を得た。リサイタルの終った夜、周囲はその成功を讃え沸いていた。そんな幸せな彼に、テレーザは「今の幸福は一つの恥辱の上に築かれているのです」といい出した。興行主シュメールはエドゥアルの出世と引換えにテレーザの体を求めたのだった。いつかは許してもらえると信じているものの、彼女はこの秘密をいつまでも自分の胸に隠しておくことが堪えられなかった。彼はそんな彼女を許そうとしたが、このショックにすぐには自分の気持を言い表せなかった。夫のそんな様子に絶望したテレーザは彼の眼の前で窓から投身自殺をしてしまったのだ……。シャルリーの過去を知ったレナは、圧えきれぬ愛しさと同情を感じ、愛をうちあけた。シャルリーもそんな彼女に強くひかれた。レナは彼にもう一度エドゥアル・サロヤンに戻るよう誓わせた。そこで二人はつれだって「マミイ」に行き、やめたいと申し出た。レナに横恋慕していたプリーヌとそこで喧嘩になりレナを庇おうとしたシャルリーは誤ってプリーヌを殺してしまった。シコを追っていた二人のギャングはフィードを人質に、シコとリシャールをおびきよせようと国境近い山小屋に逃げていた。それを知ったシャルリーとレナは、フィードをとり返そうとかけつけた。やがてピストルの射合いになり、その一弾を胸にうけたレナはシャルリーに見守られながら白雪を鮮血に染めて息たえた。エドゥアル・サロヤンの夢もレナと共に眠ってしまった。

「ピアニストを撃て」の解説

デイヴィッド・グーディスの“暗黒小説”“Down Thoro”を、「二十歳の恋」(フランス編)のフランソワ・トリュフォーと「赤と青のブルース」のマルセル・ムーシーが脚色し、トリュフォーが監督した人間ドラマ。撮影は「女は女である」のラウール・クタール、音楽は「大人は判ってくれない」のジャン・コンスタンタンが担当している。出演者は「ラインの仮橋」のシャルル・アズナヴール、「今晩おひま?」のニコール・ベルジェ、「戦士の休息」のミシェル・メルシェ、「大人は判ってくれない」のリチャード・カナヤン、「恋多き女」のアルベール・レミなど。A・T・G系第十四回上映作品。黒白・ディアリスコープ。

公開日・キャスト、その他基本情報

キャスト 監督フランソワ・トリュフォー
原作デイヴィッド・グーディス
出演シャルル・アズナヴール ニコール・ベルジェ マリー・デュボア ミシェル・メルシェ アルベール・レミ クロード・マンサール ダニエル・ブーランジェ クロード・エイマン リチャード・カナヤン ジャン=ジャック・アスラニアン セルジュ・ダウリ
配給 新外映
制作国 フランス(1959)
上映時間 92分

ユーザーレビュー

総合評価:4.67点★★★★☆、3件の投稿があります。

P.N.「オーウェン」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2023-11-10

場末の酒場のピアノ弾き、シャルリを演じるシャルル・アズナヴールが絶妙だ。

絶望しながらも生きていく人生の味といったものが、映画を観終わった後、胸の奥にソッと残される、そんな感じの映画なのです。

随所にフランス映画的なエスプリが散りばめられていて、楽しませてくれます。
特に、シャルリの幼い弟を誘拐する、二人の悪漢の憎めない好人物ぶりが愉快です。

ラストの雪の中の一軒家をめぐる銃撃シーンは、殺し合いなのに、なぜか牧歌的でのんびりしたものがあります。
暴力は大嫌いだという、フランソワ・トリュフォー監督の面目躍如といったところで、犯罪映画の形を借りた”愛の映画”になっているのです。

二枚目でも、タフガイでもない主人公のシャルリが、この犯罪映画でもあり、恋愛映画でもある、この映画にピッタリで、特に彼のシャイな雰囲気の描写は、つっぱらない映画の楽しさを満喫させてくれます。

それは、いかにも”フランス的洒脱さ”と言ってもいいのですが、粋に昇華しないのは、そこに人生への”苦い絶望”が込められているからだと思うのです。

最終更新日:2023-11-20 16:00:01

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