家族の肖像 作品情報

かぞくのしょうぞう

ローマ市の中心地の豪邸に住む教授(B・ランカスター)は〈家族の肖像〉と呼ばれる18世紀の英国の画家たちが描いた家族の団欒図のコレクションに囲まれて孤独な生活を送っていた。その教授の趣味を巧妙に突いたビアンカ(S・マンガーノ)は、画商を通して教授に近づき、娘のリエッタ(C・マルサーニ)とその婚約者ステファノ(S・パトリッツィ)、美青年コンラッド(H・バーガー)らをひきつれて教授の二階に住みついてしまう。粗暴で意固地なコンラッドは二階を自分の名義で買ったと信じ改造工事をさせ、一階の住居を水びたしにしてしまう。しかし教授が冷静になって話しこむとコンラッドは美術の造詣も深く、ビアンカとの不倫な関係から発する毒のような魅力とは別な純粋さで教授の心をとらえるのだった。翌朝、パリから帰ってきたビアンカとの間に衝突が起こるが、和解のしるしにと教授が招待したその夜の晩餐には4人とも遂にあらわれなかった。一ヵ月後、ヨット旅行から帰って、ふたたび教授の家の二階の住人となったコンラッドは、深夜、右翼青年に急襲をうけるが、教授に書斎の奥の隠し部屋に連れていかれ介抱してもらう。不安を訴え、助言を求めるコンラッドを教授は父親のようにはげますだけだった。その晩、幼い頃の母(D・サンダ)や別れた妻(C・カルディナーレ)の追憶から教授を呼び起すように、若者3人が教授の書斎でカンツォーネに合わせて全裸で踊っている。リエッタは教授に詩人オーデンの言葉“美しきものは追い求めよ、少女であれ少年であれ抱擁せよ……性の生命は墓に求めえぬゆえ”と語りかける。そのころ、ミュンヘンに出発したコンラッドは国境で不審訊問にあい、身元引受人として教授の名をあげる。釈放されたコンラッドの帰還を迎えての晩餐はあたかも一幅の〈家族の肖像〉と化したかのようなはじめての、そして最後の晩餐だった。政界の事情に詳しいステファノとコンラッドは互いに罵倒しあい、なぐり合う。教授がかかげる古風な文明論とは余りにも違う次元のその背景に、わけいる教授の力も弱い。教授を父と呼び、永遠の別れを告げる手紙をのこしコンラッドは爆死し教授は病に伏せてしまう。床で本を読んでいた教授の耳に何者かの足音が聞こえ、それからしばらくして教授は息をひきとるのだった。

「家族の肖像」の解説

ローマの豪邸で静穏そのものの生活を送る孤独な教授が、ある家族の一群に侵入され、そのことによっておきる波紋をヨーロッパ文明と現代貴族のデカダンスを根底に描く。製作はジョヴァンニ・ベルトルッチ、監督は「ベニスに死す」のルキノ・ヴィスコンティ、助監督はアルビノ・コッコ。「若者のすべて」以来ヴィスコンティ映画の常連エンリコ・メディオーリの原案を彼とスーゾ・チェッキ・ダミーコとエンリコ・メディオーリが脚色。撮影はパスカリーノ・デ・サンティス、音楽はフランコ・マンニーノ、編集はルッジェーロ・マストロヤンニ、美術はマリオ・ガルブリア、衣裳はヴェラ・マルゾが各々担当。出演はバート・ランカスター、シルヴァーナ・マンガーノ、ヘルムート・バーガー、クラウディア・マルサーニ、ステファノ・パトリッツィ、エルヴィラ・コルテーゼ、ギイ・トレジャン、ジャン・ピエール・ゾラ、ロモロ・ヴァッリ、ウンベルト・ラホ、クラウディア・カルディナーレ、ドミニク・サンダなど。日本語版監修は清水俊二。テクニカラー、トッドAO。本国公開題名は、Gruppo di Famiglia in un Interno。2017年2月11日よりデジタル修復版を上映(配給:ザジフィルムズ)。

ルキノ・ヴィスコンティ監督の生誕110年、没後40年を記念し、1974年に発表した作品をデジタル修復版で39年ぶりに劇場上映。〈家族の肖像〉と呼ばれる家族の団欒画に囲まれた豪邸で孤独に暮らす老教授。ある家族の闖入によって彼の生活は乱されていく。

公開日・キャスト、その他基本情報

公開日 1978年11月25日
キャスト 監督ルキノ・ヴィスコンティ
出演バート・ランカスター シルヴァーナ・マンガーノ ヘルムート・バーガー クラウディア・マルサーニ ステファノ・パトリッツィ エルヴィラ・コルテーゼ ギイ・トレジャン ジャン・ピエール・ゾラ ロモロ・ヴァッリ ウンベルト・ラホ クラウディア・カルディナーレ ドミニク・サンダ
配給 東宝東和=フランス映画社
制作国 イタリア フランス(1974)
上映時間 121分
公式サイト http://www.zaziefilms.com/kazokunoshozo/

(C)Minerva Pictures

動画配信で映画を観よう! [PR]

ユーザーレビュー

総合評価:4.75点★★★★☆、4件の投稿があります。

P.N.「私は弧を描き、私弧を奏でる。」さんからの投稿

評価
★★★★
投稿日
2022-10-12

孤独を好む、老教授の終活的な作品。

住まいだけで繰り広げられる間近で鑑賞する舞台劇。

人間は、おかしなもので、必ず自らが避けてきた物事と対面する。

人間は、孤であり、しかしなんらかの円上の(縁)弧を歩んでいる。

誰しもが、孤で生まれ孤で死んで行く。

けれど、人生は、円上の、弧なのだ。

独りで歩いて行かなければならないが、人間と関わらず生きても行けない。

矛盾するようだが、自らの弧を描き、弧を奏でながら生きないと行けない。

老教授が、自らの問題と対峙することで穏やかに終焉を迎えたように。

少し舞台劇のような展開で畳み掛ける最期は、強引にも思えるが、こう言う作風もヴィスコンティ風と解釈したい。

作品全体は、時代背景と共に、左翼・右翼が世の中でどう働き、中道抜きに人生は進まない人間模様を巧みに織り込み仕組みを読み解くことができる。

ヴィスコンティの魅力は、生き方で若者に道を示しながらも決してお説教じみたりしない。

ローマの偉人、日本の偉人よろしく、継承・教え・学びのトライアングルの構図が見事に構築されている。

最終更新日:2023-10-10 13:37:24

広告を非表示にするには